聖なる鹿殺し。
多分タイトルが面白そうだったから、
選択したのだと思う。
観ることを。
今日は違う、いつもと違うバス停から
バスに乗った。
特に深い意味もなく。
他にも、なんとなく
曖昧に観たいのもあった。
ブラックパンサーは友達が一緒に
観たいとか言ってたし、
ナチュラルウーマンも、なんとなく観たい。
はっきり言って何でも良い。
映画館で映画が始まる瞬間の
全く知らない誰かと
暗闇と静けさを感じるのが
好きなんだ。
一度その時、僕は小さく眠る。
それは小さく死ぬのと似てる。
小さな死を重ね生き、いつか大きく死ぬのか。
大きく生きるのが終わるのか。
曖昧な、雰囲気の言葉でしかない。
映画はクレジットから
暗い静寂が何秒か続き、
剥き出しの心臓のアップから始まる。
素晴らしい。
映画は曖昧なようで
強烈な選択肢を重ね苦悩する。
なんと人生と同じだ。
その選択肢が他人から
強要されるものか、
自ら作り上げたものか、
それは、どちらにせよ
選択しなければならない。
己が。
選択までの時間に
人によって時間の使い方が違う。
どっちでも良いけど僕はいつも
バカな失敗の選択を繰り返す。
その選択に意味があった。
その選択で得をした。
その選択で損をした。
その選択で教訓を得た。
その選択に、もう一つ可能性があった。
音楽も素晴らしい。
ムーンライトがスクリュードされた
ヒップホップの現代音楽的な再構築なら。
聖なる鹿殺しは現代音楽的な手法による
ダヴステップである。
ダヴステップというと。
馬鹿みたいに範囲が広すぎるので
burialのサウンドである。
たまたま、burialのuntrueというアルバムを
聴きながら来た、それだけかも知れない。
来る時、向かいの高速バス停の女性が
凄い勢いで踊っていた。
人生はダンスだ、踊ろう。
