前にもブログに書いたが、

僕は病院でゴハンを作る仕事をしている。

 

はじめて遺体を見た。

とても、タイミングが悪かった。

霊安室に行く途中の彼女と、

僕が膳を下げる瞬間が

交差したのだ。

 

クラっとする衝撃だった。

親族の葬式以外では本当に

はじめてだろう。

 

これは、本当に初めての感覚だ。

 

すぐに仕事に戻ったが、

頭の中は割とすぐに切り替わり。

 

生きてるだけで幸せなことだ。

今は一生懸命に働こうと、

心の底から本当に思えた。

 

こんなに素直な感情は久々だった。

彼女に感謝しなければ。

そして安らか眠りを祈る。

神にではなく彼女に。

 

そして医師や、看護師

デイケアや医療関係の方は

どんな気持ちで働いてるのだろうかとも

思った。

僕よりはるかに死に対時する機会は

多いだろう。

 

最近観た、映画

海は燃えている

のイタリアに密入国してくる

移民の治療をしている医師は、

穏やかで、しかし僅かに神経質な彼は。

言葉を大切に選びながら話していた彼は。

毎日どんな気持ちで

仕事に挑んでいるのだろうか。

 

 

 

医療で働く人々や、

色々な移設の清掃員、

又は沢山の命を運ぶバス運転手。

 

僕が日々、目にする労働者。

 

僕は彼ら彼女達を

心の底から尊敬する。

 

この国の最高権力者よりも、

というより、この国の最高権力者を

僕は最高に尊敬していない。

 

人に対して上からの物言いを

する奴は大概クソだ。

 

米国の

オバマは少し好きだったけど、

ノーベル平和賞は

今からでも遅くない

返すべきだと思う。

平和賞自体を無くすべきだ。

 

人類は絶対に平和にならない。

 

と、いっても僕は政治には

全く馬鹿なので関心すら持てない。

 

いつも死ぬのが怖いと、ばかり

考えてしまう。

老いて、朽ち果てて

死んでしまうことを。

勿論、交通事故も怖い。

他人に殺されるのも

重い病気も怖い。

 

毎日、死ぬのに怯えながら

怖い、怖いと思いながら生きている。

 

アレハンドロ ホドロフスキーは

映画、エンドレスポエトリーで

 

 

死ぬのが怖いのではない、

君は生きるのが怖いんだ。

と、若き自分に語っていた。

 

 

 

ホドロフスキー、アナタは正しい。

僕は生きるのが怖いのだ。

だって、今、ブログを書いている

自分は

生きているのだから。

 

今日、精神的ではなく

肉体的な死に直面して、

僕は、それが身にしみて理解できた。

理解できただけでも、

大きな一歩ではないか。

 

それが死に向かっての一歩でも。

いつか、この恐怖も

苦しみも、終わるさ。

ただ生きよう。