The Buggles | name.ブロ

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こんにちは😃✨

今日は、バグルスについてまとめましたので、ブログにしたいと思います。ウインク

【バグルスの2人→YES加入→それぞれ、エイジア結成と名プロデューサーの道へ】

イングランド出身の音楽ユニット、バグルス(The Buggles)は、ニュー・ウェイヴ期の代表的グループで、「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られていますが、たった2枚のアルバムで解散しましたが、この2人の当時の流れが実に興味深いんです。

デビュー当時のメンバーは、トレヴァー・ホーン(ベース)、ジェフ(ジェフリー)・ダウンズ(キーボード)の2人。

1979年に、デビュー曲の「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」が全英1位の大ヒットを記録!

しかし、ファースト・アルバム『ラジオ・スターの悲劇』(The Age of Plastic)発表後の1980年、ホーンとダウンズの2人はそろってイエスに加入します。

イエスはアルバム『ドラマ』を発表し、欧米のツアーを行いました。
しかし、従来のイエス・ファンからはボーカリストの交代が不評をもって迎えられ、ステージに登場したホーンに対してのかなりの罵声があがり、ステージ恐怖症にまでなるほどでした。

結局、ツアー終了後にホーンが脱退し、イエスは解散状態になりました。

1981年、2人は再びバグルスとしてセカンド・アルバム『モダン・レコーディングの冒険』を発表しまもなく活動を停止しました。

モダン・レコーディングの冒険を編集している頃は、ダウンズは既に制作から去ってエイジアの結成に参加しており、ホーン一人での作業でした。

その後、ホーンは売れっ子プロデューサーとして一時代を築き(後の再結成イエスのプロデュースも担当し「ロンリー・ハート」などのヒット曲を制作)、ZTTレコーズの設立にも名を連ねました。一方、ダウンズはエイジアの中心人物として活動を継続しました。
 

トレヴァー・ホーンと、ジェフ・ダウンズ
その後の音楽シーンに多大な影響を与えた2人が組んでいた、バグルスは、♪ラジオスターの悲劇のシングルヒットのみの印象ですが、実は凄い2人が組んでいたユニットなのです。✨

おわり。ウインク