今日はこどもの日です。



かしわ餅は幸福堂のみそあんを。
ご近所のかしわ餅が一番美味しい…のはなんてハッピー❤️







壬生寺の北側にお店はあります。
きんつばが人気。でもオススメはかしわ餅、みそあん一択(笑)





我が家の子どもたち(?笑)




息子のワイ氏も成人し、言葉どおりの子どもはいない我が家となりました。



「自分のことを子どもだと思う存在」…つまり「親」がこの世からいなくなるまでは、大人になっても、いくつになっても、誰もみな「子ども」でもあるのでしょう。

ワイ氏も成人したとて「我が子」、子どもでもあります。

そして私自身もまた、先日生死の境をさ迷った母親が健在であるうちは「子ども」でもあるのです。

親もまたありがたい存在です。


世間では少子化だと問題視されているけれど、それはつまるところ「プレゼンが超絶にヘタクソ」なのだと思います。



今の若い人たち…Z世代と呼ばれる人たちやデジタルネイティブといわれる人たちは、実に現実的で合理的、よくも悪くも聡明だと思うのです。

お金を使わず堅実なことも、「無駄遣いするな」と教え込んだ親世代の教育のたまものではないですか。彼らはそのことを忠実に守っているのです。もっと誉めてあげましょう(笑)


そんな忠実で聡明な若い人たちが「子を産み育てること」をヨシとしないのです。漠然と「イヤ」「ムリそう」なのです。

本当に楽しくて素晴らしくていいことばかりなら、親や世間が必死にならなくてもみんなどんどん子どもを産んで親になるでしょう。


だから「プレゼンがヘタクソ」なのです。

子育ては、親になることは素晴らしいことだ、やってみたい…と思えない、思ってもらえてない。

もちろん、大変な、苦しい部分、時期があるのは事実だけれど。


それでも私は、

「子育ては素晴らしかったよ、親になれてよかったよ」

とワイ氏には話しています。



子育ての素晴らしさのひとつは、

「親自身がもう一度、子どもとともに人生を生きなおせる」ということ。


もしあの時に戻れたらこうしたのに、ああするのに。


もしそんな後悔があるなら、我が子が「その年」になった時に、我が子を当時の自分だと思って心からアドバイスしてあげてほしい。見守ってあげてほしい。


周りから「いい親、ちゃんとしてる親」と思われるために…じゃなくて。


「親としての自分がどうしたいか」じゃなくて、

「自分が今の我が子だったら、親にどうしてほしかったか」をしてあげてほしい。

親としてやりたいことと、子どもとしてやってほしいことが、同じじゃなかったら演じてあげてほしい。「子どもが望む親」の姿のほうを。


そうしたらきっと当時の自分が救われる気がする。そういう形で、生きなおせる。


そんな子育てのコツに気がつくのに、ワイ氏が高校生になるまでかかってしまった。本当にもったいないことを、ワイ氏にも申し訳ないことをした…と思っている。


おじいちゃん、おばあちゃんが孫に甘あまになるのはそのせいやなぁ、としっくりくる。

子どもにしてやりたかったことを、世間の目と親の沽券が邪魔してやってあげられなかったんやなぁ、それを後悔してるんやなぁ…と。

親の沽券なんて、ドブにでも捨ててしまえばよかったと気づくのは子どもが成人してからなのだ…私もそうやけど(笑)


子どもが2人3人といればいるほど、そのチャンスはそれだけ増える。親の人生は豊かになる。子どもの存在が豊かにしてくれる。


本当に、なんてありがたい存在なんだろう?「我が子」とは。



本能としての種の保存だけでなく、命に人生にまつわることはほんとうによくできている。

大人になれば誰でも、その一端を垣間見ることができるのが「親になる、子を産み育てること」なんだ。


「こどもの日」がいついつまでも、子どもたちの幸せを願う祝日でありますように。