「どんな劇がいいと思うかね」そう聞かれても、いつまでも答えることができなかった。第一、どんな劇も知らなかったし、教科書に出てくるもの以外読むこともなかったのだから。兎に角、早く答えねばと焦るから余計もじもじとした私の1番嫌いなわたしになった。

「どんな役をやってみたいかね」 先生は次なる意向を聞いてきた。手に汗が滲んできた。

何故こんなことになったのか、それが分かるからこそ口が動かなかった。

 

年に一度の学芸会に関するアンケートの紙が配られた。「学芸会に劇をしますが出たいと思う人は丸を入れる」そのアンケートに私は丸を入れた。正直な回答だった。

出るからには主役がいいな、セリフがいっぱいある方がいいな。それは反射的な私の答えだった。ところが、出たいと意思表示したのは四十人中私を含めて2〜3人だけだったと後で聞いた。

私は狐に摘ままれたように唖然とした。皆嘘だ、嘘に決まっていると思った。目立ちたがりがいっぱいいるではないか。「先生、先生!」と、まるで友達のように振る舞う子もいるではないか。

何故出たくないのか。私は クラスの全てを敵に回したような気がして落ち込んだ。

70余年も昔のことである。時々思い出すのだが、意思を赤裸々に言うことをあまり良しとしない時代だった。恥じる理由はないが、「あまりしゃしゃり出るものではない」と、昔の私が言うのです。私への教訓と心得て、大事にしまっている。正直も嘘つきも、表裏一体で、全て真実に違いない。小さな教訓が今もどこかに染み付いている気がする。