80代も捨てたもんじゃない
1¥ (散歩道で撮影・・・・あっという間に葉桜)子供が初めて入学した日のことを振り返ってみる。あの日の天気はどうだったのか、私はどんな服を着ていたのか、朝食時にどんな会話をしたのか。子供の成長を誰よりも望み、分身としてと言うより私の夢や希望の行き着く果てであった。そんな子の入学の日は、子と共に成長を始めた私にとって、最高の輝ける日であったことは確かだが、記憶はページごと消えてしまっいる。単に忘却と片付けられるのか。「母」として失格の印を突きつけられたような気がする。参観日の様子、運動会の笑顔、日々の会話。コミニケーションは上々だった。時は流れ、子は親を超え、そして、老いては子に従えと言う年齢になった。子に従えることがどれだけ幸せなことか。「感謝の言葉」も言えないまま逝ってしまうことだけは避けたい。未来は限りある。今日を楽しく過ごそう。それだけを考えて暮らす日々であるが、毎日があっという間に過ぎていく。もっと何かしたかったのではないかと思うが、それさえ浮かんでこない。今の暮らしに満足しているからにちがいない。要するに幸せなのだ。 子供ではなく、私が小学校へ入学した時のことなど何一つ覚えていない。 80年と言う歳月は、いったいどうなったのだろうか。「忘却・・・・人間の不思議な現象を、ごく当然のことと思いながらも、桜が咲きあっという間に散り、花に劣らぬ美しい葉桜を見事なまでに見せつけられると、忘れ去った過去など大したことじゃない、まだまだ未来に向かって生きれる。そんなふうに図々しくなる。80代を生きている自分が、孝行らしきことも出来ずじまいだったことに後ろめたさを感じつつも、毎日を楽しく生きている姿を何処かで見ていてほしいとねがっている。 (ねがはくば 花の下にて春死なん きさらぎつきの望月の頃)・・・・・・西行法師 (シロちゃんです)!