古代エジプトの王妃クレオパトラや、中国唐の時代の楊貴妃と共に、世界三大美人と言われる小野小町はやはり絶世の美女であったのだと彼女の歌から感じます。

 「天は二物を与えず」 と言いますが、そんな美貌を与えられたうえに、六歌仙や三十六歌仙にも選ばれるほどの歌人としての才能に恵まれていたのですから、天は不公平です。

 

百人一首にも当然選ばれています。春の歌第六番の彼女の歌は、

 

     花の色は 移りにけりないたずらに 我が身世にふる ながめせしまに

 

色あせていく花のように、自分の美が衰えていくことの寂しさは、美女であるからこそ余計にその思いがうかがえます。宮廷に仕えた彼女は、天皇の崩御で放浪の旅に出て、80歳の頃たどり着いた寺でその生涯を終えたと言います。絶世の美女の面影はなく、骨と皮の老婆の姿であったと言いますが、80ともなれば誰だって老いは隠せません。8世紀、平安時代中期を生きた小野小町。絶世の美女、才ある人も皆老いていく身を悲しいまでに受け入れるしかないのです。

 

    あわれなり  我が身の果てや浅緑  つひには野辺の  露と思へば

 

彼女の辞世の句と言われています。 

毒蛇に我が身を噛ませて死んだクレオパトラ、くびり殺さえた楊貴妃。美しさ故の悲しい終わりは一層哀れを誘います。天は公平なのでしょう。誰も皆始まりと終わりがあるのですから。