諏訪大社前宮から本宮までは鎌倉道遊歩道という散策路もありましたが、時間節約のため、諏訪照雲頼重供養塔から子安神社を通ってまっすぐ歩き、本宮の三之鳥居にでる道を選択しました


ゆっくり歩いて20分ぐらいの道のりです


【諏訪照雲頼重供養塔】


上社大祝をつとめた三河入道頼重の供養塔です

建武2年(1335年)に北条氏再興をはかって、この地に決起し鎌倉を占拠した信濃勢の総大将だったそうですが、足利勢に大敗して自害しています

諏訪大社の大祝は現人神でありながら戦国武将の役割も果たしていたですね

大変ですね驚き

【子安神社】

前宮の西の外れにある安産祈願の神社です

安産祈願のため、底の抜けた柄杓が沢山奉納されています

【高部公民館】

ヒノキが屋根を突き破ってて驚きますね



ここから、前宮のある茅野市から諏訪市へと入っていきます

【石清水】

道路脇に湧き水がありました

「神宮寺よいとこ片山下の飲んでみたかよ石清水(いわしみず)」と謳われるほとの名水です

一口飲んでみると、冷たい水が炎天下を歩いてきた体に染み渡ります

ありがたや~


        【北斗神社】



天空の神社ともよばれるだけあって長い急な200段の階段が続いています

寿命の神様である天之御中主命(北極星)をお祀りしています

いつもなら駆け上がるところですが、今日の炎天下は尋常ではありません

残念ですが断念して先を急ぎますネガティブ


【三之鳥居】

ようやく本宮の鳥居が見えてきました






この鳥居の奥が幣拝殿へと続く廊下になっています

御柱もこの鳥居をくぐるそうです


【御手洗川】


二の鳥居の下には御手洗川が流れていて、元旦には川で冬眠している蛙を掘り起こして生け贄にするという神事が行われているそうです

ネットを見ると、生きた蛙を串刺しにすることから大分炎上してますね

伝統を守る神主さんや地元の方の苦労が偲ばれます



川を渡る前に左を見ると、赤穂浪士の敵役の吉良上野介の跡をついだ吉良左衛門義周公のお墓がありました

討ち入り後に吉良家は改易となり、諏訪に流されてきて高島城でなくなったそうです

吉良町で管理されているようですね


【布橋】

橋というよりも拜殿に繋がる長い廊下です

現人神の大祝がこの橋をわたる時に布が敷かれたことから布橋と呼ばれるようになったそうです

右側に神楽殿、五間廊、左手に大国主社(摂社)などを拝観しながら進みますが、改修工事中で橋以外の敷地には入れませんでした

4社の中では最も古い建築物が多く残っているそうなので残念でした

【摂社末社遥拝所】

上社の摂社末社をまとめて拝めるようにした場所です

【大国主社】

諏訪大神、建御名方神の御父神を祀る社です

古事記では大国主命の第二子にあたるとされています


【四脚門】

慶長13年(1608年)徳川家康より寄進されたと伝えられている門です

本宮では最も古い建物です


【本宮四之御柱遥拝所】

ここから御柱が拝めるようですが、木がたくさんありすぎてどれかは良くわかりませんでしたネガティブ




布橋から続く道をとおり、塀重門をくぐると幣拝殿にでます

諏訪大社上社は裏に聳える守屋山を御神体としているので、御神体を鎮座させる役目の本殿はありません



境内を降りたところです

左手に第一の御柱が建っているのが見えます

右側が社務所があるので、そこで御朱印をいただきます



四ノ鳥居を出たところはお土産屋さんやちょっとした屋台村のような飲食店で賑わっていました

観光バスの駐車場もあります

さて、ここから下社まで13キロをどうやって移動したものか…

バスはないし、ここから40分歩いて茅野駅にでても電車がない
こんな田舎でタクシーなんか簡単につかまらないだろう…

途方に暮れていたところ、目の前をタクシーがスーと止まりました

丁度、上諏訪からお客さんを乗せてきて帰るところだったとのこと

おお!さすがは諏訪大明神様昇天

蛙の生け贄ぐらい大目に見ます!

【高島城】

タクシーの運転手さんが「あれが高島城だよ」と教えてくれました

諏訪氏の居城で吉良左衛門義周公の終焉の地です

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本宮編おわり
下社編に続く