残り少なくなった冬の青春18きっぷを握りしめ、青春とは程遠い年令の私とツレは静岡県の三島駅に降り立った。
冬の三島は夏とは違い、人影もまばらであった。
夏に来た時には改札をでてすぐの所で湧き水が出迎えてくれた。
さながら水の都という雰囲気であったが、そんな様子は今はなく、街は乾ききっている。
三島駅にほど近い「楽寿園」も、小浜池の水が干上がっていて溶岩の枯山水となっていた。
庭園を散歩する人よりも併設の動物園目当ての人数の方が多くなっている。
三島は富士山の噴火によって流れ出た溶岩の上にたつ街である。
そのため、富士山の雪解け水が溶岩の隙間をぬってはるばる三島まで、その透明度を保ったまま流れ着く。
その伏流水が街のそこかしこで噴出するという極めて珍しい地形となっているのだ。
その澄んだ伏流水に一定期間「うなぎ」をさらすと、臭みと余分な脂が抜けて極上のうなぎになると言われている。
今回、三島で降りた理由はその「うなぎ」をいただくことだ。
我々は東海道線の列車の中で当たりを着けていた、楽寿園の少し先に位置する「すみの坊 本町店」へとむかった。
昼時を過ぎて2時頃となっていたが、人気店らしく5組程度ならんでいた。
手持ち無沙汰で、何気なくレジの横に飾られた写真に目をやると見覚えのある顔が…
なんと!岸田総理(増税メガネ)だ!
安倍晋三元総理暗殺の翌月の2022年8月19日、厳戒体制の中、ここへわざわざうなぎを食べにきていたのだ
岸田総理といえぱ、自民党がパーティ券問題で大揺れだった昨年末に家族で高級すき焼きを食べているところをスクープ(?)されるなど、中々の食通ぶりを発揮している。
そういうところは憎めない。
何にせよ、一国の総理大臣が身の危険を犯してまでわざわざを食べに来たということだ。
これはもう、美味いことは間違いない!
30分程待って1階のうなぎの焼き場のすぐ近くのカウンター席に通された。
焼きあがるまでの間、手持ち無沙汰なので富士山の伏流水と箱根産の山田錦で作り上げた新酒、「春搾」を飲みながら待つこととした。
何気なく焼き場を眺めると、店主風の初老の職人が一人で次々とうなぎを焼き上げていく。
その動作は剣の達人の如く肩の力が抜けていて無駄な動作が一切ない。
焼き上がりを確認する様子もなく、一見すると宙を見つめてボーっとたっているだけのようにみえるのだが、体内時計に従って瞬時にうなぎを返していく。
正しくこれぞ熟練の技だ。
富士山の伏流水、静岡のうなぎ、岸田総理、その上に熟練の技。
期待は否が応でも膨らんでいた。
我々が注文したうなぎは鰻丼(並)。
大きな丼から、はみでるほどの肉厚の鰻が丸々一匹乗せられている。
うなぎはその大きさにもかかわらず、噂通り全く臭みがなく、しかも柔らか。
熟練の職人の体内時計により、皮は文字通り皮はパリッと身はふっくらと焼き上げられている。
タレは上品な薄味のタレではなく、長年の継ぎ足しにより毒々しいほど濃厚で甘い。
このタレの絶妙な焦げ具合が、怪しげな照りとうなぎ旨味を引き立てる。
私はうな丼を食べながら、亡くなった父の事を思い出していた。
死の直前に医師から許可をもらって、母が父に何か食べたいものがあるか聞いた。
その時もう何も口にできなくなっていたのだが、
「うなぎが食べたい…」
とうわ言のように父は言った。
病室にいた私と兄はすぐに鰻を買いに出たのだが、近くに鰻屋などなく、仕方なくスーパーのうなぎ弁当を買っていった。
それを見た母はなんとなく悲しそうな顔を。
結局、父はうなぎに口をつけることなく亡くなった。
今思えば、母が父に食べさせたかった鰻はこれだったんだなとわかった。
うなぎを食べながら、美味しさと悲しさが同時に押し寄せてきた。