昨日までの、雨が嘘のように晴れ上がり青空がひろがる。外に出ると、まだ5月なのに半袖でも汗ばむほど暖かい。

真っ青な空を堪能するために、川崎駅から羽田空港、その先の臨海工業地帯の東端にある浮島公園まで多摩川の流れに沿って歩いてみた。

多摩川下流域は平坦な地形と埋め立て地が広がり、何も邪魔されることのない広い空を眺めることができる。


2018年2月17㈰にオープンした川崎駅北口をおりてまっすぐ歩くと、我々川崎市民が納めた税金で建設中の、何故か時計台のある川崎市役所が見えてきた。

私の好きなラ・メール日の出食堂のような市庁舎レストランができたら是非お相伴にあずかりたいものだ。



更に行くと、小田原100キロウォークの休憩所としてお世話になった稲毛神社がみえてくる。
ここを左折し405号線を通って多摩川に架かる六郷橋をめざす。

右は川崎競馬場、左はソープ街というザ・カワサキな環境だが、毎年1月2日には箱根駅伝の選手が団子状態で六郷橋をわたってくる選手を沿道で応援で賑わう通りでもある。


六郷橋の脇を抜けると突如として一面に広がる青い空が現れる。

多摩川の河川敷を歩くと、「渡し」の跡をよくみかける。
2019年10月12日の台風19号で武蔵小杉のタワマン群に多摩川の水が流れ込んで浸水したのは記憶に新しいが、多摩川は昔から暴れん坊で橋をかけるのは難しかったようだ。

1600年に徳川家康が六郷大橋をかけたとの記載があるが丁度、関ケ原の合戦の行われた年だ。
当時できたばかりの橋を渡って出陣する、得意満面の家康の姿が目の前に浮かんでくる。


2015年2月20日に日本中を震撼させた中学生の事件があった場所だ。当時は、工場の裏手でほとんど人影もない寒々とした場所で、訪れた人が手向けたお花やサッカーボールなどで埋めつくされていた。

今はきれいに整備され、近くにできたタワマンの居住者の憩いの場になっている。
犯人グループの何人かは刑期を終えて出所している頃だろう。


すぐそばに、周りの雰囲気に似つかわしくないゴシック風の川崎河港水門があらわれる。

水門の上にあるブロッコリーのような装飾は神奈川県の名産の梨やぶどうや桃を形どったものという説明書きがあるが、どうみても脳みそかブロッコリーにしか見えない。

1928年3月の竣工時には川崎を分断する巨大運河構想があったとの記載があるが、頓挫したようだ。

川崎の凱旋門とも呼ばれ、国の有形文化財に登録されている。


2021年3月12日に開通したスカイブリッジ。その奥は羽田空港国際線ターミナルだ。

2020年3月29日から南風の15:00から17:00のみ羽田空港の新経路が運用されている。
その3時間のみ、この場所で羽田空港B滑走路から飛び立つ飛行機を眺めることができる。

時間が早いのでスカイブリッジを渡るのは後にして、そのまま浮島へ向かうことにした。



川崎スカイブリッジを通り過ぎて浮島につながる運河に架かる橋の手前に、青でANAと書かれた建物がある。

何かと思い、裏へまわると全日空のケータリングサービスの施設であることがわかる。

建物の2階からコンテナが直接飛び出してトラックに積まれていく様子はなんとも奇妙な光景だ。



浮島に近づくにつれ景色は一変し、グロテスクな京浜工業地帯が姿をあらわす。

巨大な石油やガスタンク、無尽に張り巡らされたパイプ、白い煙を放つ煙突などが剥き出しに成っている。

工場と工場は貨物列車の線路でむすばれている。
人がのれないのに何故か末広町駅という駅もある。


線路内には雑草が生えていて、今はつかわれていないのかとおもっていると、突然踏切の警報があちこちで狂ったように鳴りだした。

そこへ都会ではあまりみかけなくなったディーゼルの長い貨物列車が通り過ぎていく。

ジブリアニメのワンシーンで、出てきそうな風景だ。


工場はある意味芸術的だ。

日本を人にたとえるなら東京はお化粧した顔で、このあたりの工業地帯は、むき出しにされた血管や臓器といったところか。

古代遺跡のようにも見えなくもないが、未だに日本という巨大な人体に血液を送りつづけている。



浮島といっても、単に運河で本土と隔てて作られた埋め立て地なので、島というイメージから思い浮かぶようなものはまるでない。

浮島の南東部にある浮島公園に入ると、2010年10月21日に運用をはじめたD滑走路が目の前に広がる。

A、B、Dの滑走路を行き交う羽田周辺でもっとも多くの航空機の離着陸シーンをみれるポイントではないかと思っている。

ここも2019年9月5日の台風15号の被害でしばらく閉鎖されていたが、2021年10月1日より開放されている。
残念ながら今は大分荒れ果ててしまっていた。


浮島公園からひきかえして、スカイブリッジを渡り羽田空港のある川岸につくと、空港ではなくイノベーションシティへ向かった。

この橋は神奈川県と東京都の県境になっているので、東京へ入ったことになる。

時間は丁度午後3時だ。この時だけB滑走路を飛び立つ飛行機を足湯につかりながら間近にみることができる、2020年7月3日オープンの無料最新スポットだ。


平日にも関わらず、足湯目当てのカップルや飛行機ヲタのカメラ小僧でにぎわっていた。

次々と飛び立つ飛行機の下で、のんびり飛行機の爆音をBGMに足湯に浸かるのも悪くはない。



帰りは大鳥居から海老取川を渡り、大師橋を渡って神奈川県へもどった。


大師橋から六郷橋に向かう途中の味の素の工場裏で黒猫に睨まれた。

妙に品格のある猫だったので、とりあえず「多摩川の主」としておく。



約23キロ歩いたが眺めもよく、飽きない道程だ。

多摩川沿いを歩くと、いろいろな事件が思いだされる。

2010年1月11日に多摩川河川敷の川崎競馬練習コースの真中に乳児が埋められていた事件があった場所は、横溝正史小説にでてきそうな異様な風景だった。

1982年2月9日のJL-350の羽田沖墜落事故。
片桐機長が着陸前に逆噴射の操作で意図的に墜落させたとされている。心身症という病名が一躍有名となったと
記憶するが、最近はあまり聞かない気がする。

墜落現場は羽田空港の南側で河口近くとのことなので丁度、浮島公園から見えたあたりだろうか?

1999年7月23日NH-61千歳行の羽田離陸後の機内でおきたハイジャックでは、機長が身を犠牲にして墜落を免れた。
精神異常で、犯人は自分で操縦してレインボーブリッジの下をくぐり抜けてみたかったといっていたができるわけない。
言う通りにしていたら、レインボーブリッジに激突して御巣鷹山以上の犠牲者がでていただろう。

※※※

桜の木の下には死体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ、と梶井基次郎は書いた 。

多摩川の底には死体が流れている、だからこんなに空がきれいなんだよ!

と多摩川の主の黒猫が言った。