「木花開耶姫」奉納の為の刀絵


ふと桜に感じる“おそれ”…

それは神への“畏れ”と
美への“恐れ”の両方だと感じておりました。

“花のおそれ”のまま
留まれば良いけれど、

時にそれは
“花の狂気”となって蝕みました。

それを描いた藝術作品も存在するのも事実です。

坂口安吾の短編「桜の森の満開の下」では、
その花の狂気に触れて
愛する人を手にかけて仕舞う。

その男女と似た結末に着地する
“ベティ・ブルー ”と言う映画もあったけど、

桜の狂気は愛の狂気に似ていて…

西行法師はきっと
その花の狂気に触れて
桜の歌を詠み続けてのだろうと思うのです。



ただ花の狂気は、
ヒトを惹きつける藝術を産むので、

桜神の木花開耶姫が
「藝術神」と言われるの由縁も
私なりにやっと理解出来ました。

(桜を見ると、そんな風に私自身も手にかけられた事があるような気がする瞬間があったので作品に没頭出来そうです笑)

花の狂気に触れぬよう
最後まで桜神へ畏れを抱いて刀を握ります。

こゝろより