【新】拒過食症への道 | おかんのつぶやき

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けいこおかんの考えたこと、感じたこと、経験したこと、失敗したこと。何でも書いていきます~。

皆さま、今日も笑っていらっしゃいますか。

Nalishなお時間へようこそ。

 

今日からしばらく、私の人生を振り返っていくブログを編集、

または新しく書こうと思います。

以前にも読んでいただいた方があると思いますが、

付け加えたり一部変更している部分もあります。

よろしければお付き合いください。

 

私はとにかく恥ずかしがり屋の心配性で、

母にいつもくっついている子供でした。

母が言うには、私は母の服の裾をいつも持って歩いていて

迷子になったこともなければ、

人に会うといつも後ろに隠れていたそうです。

素直だったという風に言えば聞こえがいいんですが、

何が怖いのか、まず両親が怖い。

言い返せないので、心の中でそれは違う!と思っていても

ごくんと飲み込んで、両親の言う通りにする子でした。

母が自分が勉強したくて行っていた英語教室があったんですが、

私も横で英語をさせられて、

何で日本語もできないのに英語やらないといけないの!って思いながら、

Blueだったら青色を塗る、とか素直にワークをやっていました。

お洋服はいつも母が言うものを着ていて、

自分が良いと思った物も、母が「こっちがいいんじゃない?」というと、

すぐ意見を引っ込めていました。

食べ物は面倒くさい子で、

「これ食べていい?」って毎回聞くんです。毎回。

確認を取らないと不安で食べられない子でした。

小学校低学年の時はテストの点も良くて、本当にいい子ちゃんでした。

 

それなのに面白いことに、

私には一つ不良な部分がありました。

人生で初めてお酒を飲んだのは5歳。

うわっ、今の下の子の年齢やん…

でもそこにも理由がありました。

私がもう6歳に近い5歳だったと思いますが、

家族で引っ越したんですね。

そこに父のお友達が手伝いに来てくれていて、

引っ越し後、両親はお礼に、とその方にビールをお出しした。

でもそのお客さん、ビールが飲めなかったらしいんです。

で、私が代わりに飲む!と言って、

くいーっと飲んで平気な顔をしていたんです。

それを見て両親が喜んだ。

ここがポイントです、両親が見て喜んだ。

だからその後もビールをたとえ「苦い」と思う瞬間があっても

私はずっと我慢して飲むような子でした。

 

小学校6年生の時、突然お受験させられました。

普段よくできるから、受かるだろうって。

でも結果は…不合格でした。

他に一緒に受験した子はみんな受かって、

とても恥ずかしく悲しかったです。

この時、本当に自分に自信がなくなったのを覚えています。

 

中学校に入ったら、ものすごい反抗期がやってきました。

2年生の時がピークで、母とは全くしゃべらず、母が泣いていました。

テレビを観てはいけないという小学校からの約束は、

2時間3時間つけっぱなしという反抗に変わり、宿題もしない。

自分はなぜ生きているのかとか、何のために生まれてきたのかとか考え続け、

それを分かってくれた子達と付き合いしていたら、

学校にも来ず、たばこやシンナー遊びをしている子達が

大親友でした(でも自分は臆病だからしないのだけど)。

一応彼氏なんかもいたりして(でも恥ずかしくて全くしゃべらないので振られた)、

学校の先生にも、怒られるか怒られないかのギリギリのところで、何かしら反抗していました。

家では自らビールを買いに行き

(この頃って夜に子供が歩いても危なくないし、

自動販売機でビール買えたし)、

夜は本当にラジオの深夜放送とか聞いて、

夜中2時とか平気で起きてました。

だから毎日朝は遅刻。

先生が良い人で、朝の会に居なくても

「あいつは来るやろう」って見過ごしてくれていたけど…

小学生と中学生が別人のよう。

でも、人間、ちりも積もれば山となる、なんですよ。。。

我慢という火山が爆発・・・

 

次回に続きます。

感謝を込めて…