*最近ナリ心理学で書いてる「アホ」の記事とは全く別の話です。お間違えないようにお願いします。
アホ=境界知能と言っているわけではありません。ナリ心理学のアホの定義はもっと広域です。本当に本当に広域です。ナリ心理学のアホは、IQが120あっても状況によりアホになります。ちなみに、ナリもアホに含まれますので大丈夫です。笑。
ぜひ知って置いた方がいいかなーと思ったので書きますーーーーーー。
ちなみに、今回は真面目な記事なので一切ボケません。フリじゃなくて。まじでボケません。
現在、知的障害とされるのは「IQが70未満」の人たちですが、1950年代の一時期はこれが「85未満」とされていたことがありました。
ただ、IQが85未満だと、人口の16パーセントになり「あまりにも多すぎる」ということで、70未満に引き下げられました。
つまり、このIQが70ー84の人は「一時期は、知的障害」「今は、健常者」になるわけです。
そして、人口の14パーセントもいます。この人たちのことを「境界知能」と呼びます。
平均より、下だけど、致命的ではないから、見過ごされてきた人たち。境界知能。
普通に育って、普通に暮らして、普通に働いていけることはいける。
ただ、問題が起きたときに対処できない。
人間は、知恵が使えないときに暴力(攻撃性)に頼ります。
イライラした時って、モノに当たったりしますよね。
ヒステリックになると、暴れますよね。
DVするのも、加害者側が感情的になった時でしょうね。
それが、社会や人に向かったときに、犯罪になります。
逆に、知恵があればものや社会や人に当たらなくて済むわけですよね。
知恵が有れば。
今の脳の動きって、後天的理由と、先天的理由(遺伝と生まれた家・環境)の足し算で決める。
どちらも大事すぎるが。
そもそも、先天的理由ですでに「学ぼうとすら思えない」となっていれば、後天的理由は、作れない。
ナリみたいな普通の人の話で申し訳ないが。
(自分の話になってしまうのだが)
ナリの、先天的理由の一つとして、「親が全く勉強しない人だった」がある。
これは、おれは選べない。
母親は工業高卒で、父は中卒だ。10代のころは「勉強=我慢」「勉強=つまらない」「勉強=やっても意味ない」としか思っていなく、そういう環境だったから。
(ナリよりひどい環境の人など無限にいるが。)
10代は完璧に勉強を放棄してました。
10代の後半で就職した会社が鬼の如くつまらなくて。笑。
働くくらいなら死んだ方がマシだと本気で思ったので。
音楽で飯を食おうと思って、上京しました。
上京は、初めて自分から勉強というものをしました。
今まで勉強ってのは、やらされて嫌々やって我慢強い奴が、大学に行くくらいしか考えてなかったので。笑。
たぶん、人生初の勉強でした。
自分から望んで勉強すると、こんなに勉強って楽しいのか、考えるのって楽しいのか、世界が広がるのかと、。。
貪るように勉強したのを覚えて居ます。ちなみに勉強方法は、簡単。
お金ないのでブックオフで100円の本を買ってきて、ひたすら読んで、わからないところ調べる。
以上。
幸い、先天的理由で、「頭の作りそのもの」はそこまで悪かったわけではなかったので、
「勉強」という後天的理由でもって、「知恵」が多少ついて、20代はとってもいろんなことがうまくいきました。
でも結局、勉強しようと思えたことそのものが「運が良かっただけ」だし、
勉強してみたら「そこまで頭悪くなかった」というのも、先天的理由で。
結局は、運と、先天的理由に助けられただけだと思うのです。
もし仮に僕が、「境界知能」だったとしたら、
上京して、一人暮らしで、独学で勉強していて、それが身になったのだろうか。。、。。
そもそも、「勉強してみよう!」と思えたのだろうか?と考えると。。。微妙。
そもそも、先天的理由ですでに「学ぼうとすら思えない」となっていれば、後天的理由は、作れない。
学ぼうとすら出来なかったら、社会で生きていて問題が起きたら、知恵よりも暴力に頼ろうとしてしまうかもしれない。
社会は基本的に「自己責任」で動いている。
けれど、それは、皆がみんな、「自己」がある程度普通に形成されていて、「責任」を負えるという前提だけど。
おれには、
みんながそうだとは思えない。
(だからと言って自己責任ではないとは思ってないない)
このブログには特にオチはないけど。ただ知っていて欲しかっただけ。
人は生まれによって、知能に差が出ること。
そして「障害」とカテゴライズされることだけが、全てじゃないこと。
「考えよう」と思うことすら思いつかない人もいること。