こんにちは。
私にとって母は、あまり深く掘り下げた事がないくらい、いて当然な存在です。
改めて聞かれると、そりゃ、ダイヤモンドだわ。と言う感じでしょうか。
 
しかし父は。
いて当然ですが、まあ娘の私には甘かったので母とはちょっと違う存在感です。そんなものですかね?わからないですが。
 
そんな父は、癌になり倒れてから3年近く、治療が効いての通院を繰り返し普通に過ごせてきました。
危険な時もありましたが、日常生活には問題ありませんでした。
 
 
しかし抗がん剤治療の薬もほぼ尽くして、新たな治療はもうあまりなく、これ以上薬の治療は体の負担になるだけなので進めないようです。
 
私は他県に嫁いでいるので両親は遠方です。
経過を母に聞きながら、何気ないやりとりを父とLINEでしながら、なんとなく肝心な心配を後回しにしてきてしまいました。
その肝心な心配がリアルに近づいてきてしまったのだなあと思っています。
 
治療を進めないなら死期が近づくの?と思うと勝手に泣いてしまい、でも母は
 
すぐにとうとかないから、今のところは心配しないでいいよ。
と言います。
 
でも心が折れそうになります。
 
 
父でこれなら、母に何かあったら私の心はどうなるのだろうとゾッとしてしまいました。
 
 
子供が生まれたときも、父が病気になったときにも思いましたが、何はともあれ健康で生きていてほしい。
というのが生きていくうえでのまとめかなと思いました。
 
 
大切な人の死期が近づいたことに気づいたら、自分の心とどう向き合えばいいのでしょう。
 
 
 
 
 
 
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ナリは頭がおかしいので言っちゃうけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「父でこれなら、母に何かあったら私の心はどうなるのだろうとゾッとしてしまいました。」
 
 
 
 
 
 
ゾッともなにも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたのお母さん絶対なんかあるし、死ぬからね(゚∀゚)笑。1000%死ぬよ。なんかあるし。
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんなの、70年くらい前から決まってたみたいなもんで。笑。
 
別にあなたの母親だけ死ぬわけでも、あなたの母親は死なないわけでもなくて。
 
みんなずっと、死ぬよ。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人間の会話って、隠れてるだけで全員の語尾に、「....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」がついてるんですよゲラゲラ笑。でも当たり前だからいちいち言わないんだよ。笑。
 
 
 
 
 
 
 
母親「おはよう!!.........まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
母親「あんた大学いくの?....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
 
母親「あんたの好きなプリン買っておいたよ!....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
 
母親「いとこの○○くん結婚したらしいよ。来年子供産まれるんだってさ、....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
 
父親「よし!今日は、外食するかーー....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
自分「今日、洋服買いにいこーーー....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
友達「タピオカ飲みにいこー!!....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
友達「ストレッチしてると最近すごく寝つきがいいんだよねーー....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
知り合い「これ、つまらないものですけど、どうぞ、、、....まぁ、最後はみんな死ぬんだけどね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
友達に「最近なにしてんの?」って聞かれた時に「呼吸」って言ったら多分、殴られるじゃん。笑。
 
 
 
 
 
 
おれは殴らないよ。優しいから。みんなは殴るでしょ?
 
おれは、心柱だから、殴らないよ。でもみんな鬼だから殴るでしょ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あれと全くおんなじ原理で
 
「当たり前すぎることはいちいち言わないのが人間」
 
なんだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学校の先生「さ!この瞬間も世界では恵まれない子供達が命を落としてるし、数百円で救われる命が世界にはあるし、旅行なんてできない人がたーくさんいるけど!!今日の修学旅行楽しも〜!!」
 
 
 
 
 
 
生徒「......もう帰りたいですぼけー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ってなるだろ。笑、
 
 
 
 
 
 
 
「うわーー!!!お寿司ってお醤油つけて食べるとおいしーー!!!」
 
って言うと意味変わるじゃん。笑。
 
初めて醤油つけたんかよw
 
 
 
 
 
 
お寿司にお醤油つけるの普通だからいちいち言わなくていい。笑。意味が変わっちまう。笑。
 
「うわーー!!!お寿司おいしーー!!!」でいいのよ。笑。
 
「お醤油つけて食べると」はいらない。要らない。、笑
 
 
 
 
 
 
「自転車って、乗ると便利だしサドルあったほうがいいし、気持ちいいねー」
 
乗ると便利だしサドルあったほうがいいしはいらない。笑。
 
普段サドルないんかいw
 
 
 
 
 
 
「ディズニーランドって、やっぱり京葉線で行って舞浜駅で降りると楽しいねー!」だと意味が変わる。笑。
 
「京葉線で行って舞浜駅で降りると」はいちいち言わなくていい。笑、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だから。
 
 
 
 
 
 
 
「お母さん60歳の誕生日おめでとー!!!年齢的に病気になる確率も上がったし、寿命も近づいて来てもうすぐ死ぬねーーー!葬式ん時坊主何人いるー?3坊主?」
 
 
 
 
 
 
 
って確かにもうすぐ死ぬし、事実だけど。笑。
いちいち言わなくていい。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、うちのじいちゃんばあちゃんに「そろそろ死ぬ?」とか「あと何分くらいで死ぬ?」とか、「死ぬ時連絡して」とか、「火葬する時暑いから、冷房つける?」「地獄にジャスコあんの?」とか、死ぬイジリすると、めっちゃ笑うよゲラゲラ笑。
 
 
 
 
 
 
 
ほんで、
「当たり前のことはいちいち言わなくていい」ってのは、人と人がコミュニケーションする上で大事なことだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人が死ぬってのは当たり前のことすぎていちいち言わないんだよね。笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
で、なぜかそうしてると「人は死なない」と思い込んでしまう人たちが生まれたりする。70歳の母親が死ぬのは、70年前から決まってたことなのに。。
 
 
 
 
 
 
なんか「最近死ぬようになった」みたいな感覚で。
 
 
 
 
「父でこれなら、母に何かあったら私の心はどうなるのだろうとゾッとしてしまいました。」
 
 
 
って言えちゃう。笑。
 
 
 
おい!w
あなたのお母さんは絶対なんかあるよw
 
 
 
 
 
死ぬ死ぬ!w
めっちゃ死ぬw
 
病気!病気!病気!!絶対、病気!!何かしらの病気になるわ。w
絶対なるwめっちゃなるw
 
すーぐ病気。すぐ病気。
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おれ今カフェで、隣に60代くらいのおばちゃん座ってるけど。
 
 
 
 
この人、死ぬよ、ゲラゲラ笑。
 
 
 
 
絶対死ぬんだから。笑。
 
 
 
 
 
 
あ。、あ、死んだ、、、、
 
ホットドック食いながら死んだわ。
 
 
 
 
 
 
ま、別に
60年前から、死ぬってわかってたし、別に当たり前のことか。
 
 
 
 
 
大切な人の死に悲しむのは大切で素晴らしいことだと思います。
 
が、大切な人の死について「おどおどする」のは全く違うことだよ。
 
 
 
 
 
 
 
うちには先月生まれた赤ちゃんがいますが。
この子は「死にます」ええ、死にますよ。
 
もし若くして死んだら、、めちゃくちゃ悲しいし、、落ち込むでしょう。数年立ち直れないかもしれない。
 
でも、だからって「死なない」とは思わない。
 
うちのバビは死にます。
絶対に死にます。
 
 
 
 
 
 
 
死ぬんです。できたら、死に目に会いたくないし、先におれが亡くなりたいけど。
 
 
 
 
 
バビは死にます。
 
 
 
 
 
皆さんのお子さんも絶対、死にますよ。
死にますよ。
 
宿題やらないくらいで怒ったり、
部屋の掃除しないくらいで怒ったり、
おもちゃ片付けないくらいで怒ったりするでしょうが。
 
その子は、死にますよ。
 
絶対、死にます。
 
その子の人生は有限です。
できることも限られてる。
遊べることも限られてる。
 
時間は限られてる。
 
 
 
 
 
 
悲しむことは素晴らしいと思いますが、おどおどしたり、するのは違う。
 
それに「うちの子は死なない」と高を括るのも違う。
 
 
 
 
「死ぬ。だから残された時間、どうするか?」
 
 
 
 
 
 
 
じゃないかと思ってる。
 
 
 
 
 
 
 
 
ナリ心理学を長くやって来て見つけて法則の一つとして「悩みやすい人は自分が死なないと思っている」と言うのがある。
 
自分は永遠に生きると思っているから「嫌なことから逃げていればいつか解決する」って思ったりできる。
 
確かに永遠の命があるなら、逃げ続けてたら全部解決するもんね。笑。
 
だから、悩みやすい人は「自分は死なない」と思っている人だ。
 
自分が死なないと思ってる人は、自分の子供を「成長しない」と思ってたりするよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人は死ぬ、だからこそ、限られた時間を大切にする。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「大切な人の死期が近づいたことに気づいたら、自分の心とどう向き合えばいいのでしょう。」
 
 
 
あれです、、死期が近づいてからじゃ、遅いです(・∀・)笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
元気な時から「この人は死ぬ」「なんかある」ってことを考えて置くことが大事。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナリは
 
自分の両親が亡くなることが「全く怖くない」です。
 
悲しいし、寂しいけど、全く怖くない。だって死ぬもん。笑。
 
あいつら絶対死ぬもん。そろそろ死ぬイジリ始めよっかな。笑。
 
 
 
 
 
 
 
「火葬する時、ついでにピザ焼いていい?」
 
「死ぬ最後の言葉は「あ、死にそう」にしてw」
 
「死ぬ瞬間動画撮りたいw」
 
「死んだ時、鼻に詰める棉手作りでプレゼントしよっか?」
 
「葬式の坊さん、アルバイトでいい?」
 
「香典で新車買っていい?」
 
「棺桶どうせ燃やすなら、アマゾンのダンボールでいい?」
 
「死ぬ瞬間『それではまた会いましょう!さらば!』で死んでw」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、
うちのじいちゃんを火葬する時、
 
おれのいとこの子供(当時1歳?ぐらい)がドクロのパーカー着て来た時は最高かよ!って思った。笑
 
ひいじいちゃんの火葬場にドクロのパーカーって、最高かよゲラゲラ笑。おれもやりてーーーと思った、笑。
 
 
 
 
 
 
 
 
死について考えることは、
生について考えることだよ。
 
 
生について考えたら
自然と死についても考えることになる。
 
 
 
 
 
 
 
「死」というのは特別なことでははい。自然で、当たり前のことなんだ。
 
不謹慎だと思いすぎ。
 
 
 
 
 
 
 
人は絶対死ぬんだから、死について、若いうちからしっかり考えなきゃダメだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あなたの大切な人も絶対死ぬんだから。
 
 
 
 
 
死を不謹慎にしなくていい。
自然なことだから。