誰も責めてないからな!責められたと思った奴が悪いんじゃ!笑。裸で天ぷら揚げてろ。










母親について。










母親をダイヤモンドだと即答できない時点で、人生なんて生き辛くて、普通。








毎日楽しくなくて、普通。






 

目の前に問題起きて、普通。








お金なくて、普通。

 





母親をダイヤモンドと即答できない時点で、そりゃ人生大変なのは普通だよ。

だから、目の前のことをついて考えても基本的には意味がない。










なぜなら、

その目の前の問題は「自尊心の低い自分だから起こった出来事」という大前提があって。

そもそも、母親をダイヤモンドだと言えてたらそんな問題は起きてないのだ。








例えば、夫婦関係にしても。







もし、
夫婦関係の問題が長引いてるとき。

自分が母親を、
ダイヤモンドだと言えてたら、

そもそもそんなパートナーとは結婚してないだろうし、
付き合ってもないはすだ。


だから、
そんな問題は現実には起きるはずがない。










なので、

目の前の問題について悩み解決しようと頑張って、仮に運良く解決できても、どーせまた似たような問題が起きるだけ。








それを
これからの人生で、ずっと、続けるだけ。











結局、自分が変わらないから。









母親をダイヤモンドだと即答できないから、

その母親から生まれた自分もダイヤモンドではなく、

ダイヤモンドではない






自尊心の低い自分で






生きてる限り










問題なんてこれからもずっと起き続ける。

ただこれだけの話。








これに気づいた人から
母親と向き合うし。






まだ納得できん人は、







目の前の現実の問題についてばかり考える。








そもそも、自分がダイヤモンドだったら、

そんな目の前の問題は、起こらないのだから。


 



起きたことではなく。

起こった理由について考えないとダメだ。





で、





起こった理由について考えていくと、

自分の「前提(ダイヤモンドかどうか)」にぶち当たるし








その前提が
なぜ生まれたのか?と向き合うと。







母親が出てくるのです。





母親に愛されてなかったか
母親のことを可哀想だと思ってるか
母親のことを馬鹿にしてるから
母親に過保護にされすぎたか



何かしらの理由で。



「自分はダイヤモンドだとは思えない」


って
前提が生まれたんだよね。









母親と向き合うのは、
めちゃくちゃめんどくさいから。笑

ほとんどの人は
嫌がるけど。


さっさと
終わらせちゃえばいいぜ!

って思う。


まぁ、ただ、いつ向き合うかは、
自分で決めていいよ。





ダイエット決意するのと
同じような感覚だと思う。笑


これから、
うまいもん食えない日々が続くのだと思うと
気が滅入るもんな(*´ω`*)



いつやるかは
自分で決めていいよ。

ただ、
さっさとやっちまうと
楽ではある。





(終わり)












スーパーで買ってきた。
ソースせんべい生まれて初めて食べたけど。まさか、これが、最後になるとは。。。
これは、やめられまへん。