目の前の現実というのは、

自分が作っている。











自分が作っているというのは、どういうことかと言うと。











「どんな存在の自分が、この世界を見ているのか?」

で、世界が決まるということ。




そもそも、、、

世界というのは、圧倒的に無色透明無味無臭である。









世界は冷たい
世界は優しい

世界は厳しい
世界は暖かい


など、








世界に対していろいろと思うところがあるだろうが、






その全てが、


結局は、「自分がそう決めている」というだけである。









世界は、いつでも、無色透明無味無臭である。

そこに、色付けしてるのは、自分です。












そして、

「どんな自分」が世界に色付けしているかで、世界の色が決まってくる。





当たり前だけど。



自分の子供が生まれた日に、

「世界ってどんなものですか?」と聞かれたら。

『世界は最高に素晴らしいよ!!』って答えるだろうし。







大好きな俳優が自殺した報道を聞いたあとに。


「世界ってどんなものですか?」と聞かれたら。

『世界はなんて悲しみに溢れてるのだろう、。』って答えるだろうし。







結局。










自分の状態
イコール
世界の色





でしかない。








世界が暗く見えたとき、暗いのは世界ではなく、自分自身だ。








だから、現実より心なんだ。









コロナが怖いんじゃない。コロナが起きるまえから、心が怖がってるんだ。








なぜ、心が怖がっているのか?










それは幼少期から「怖いのが普通」だったからだろう。











なぜ、怖がるのが普通だったかといえば、

そこで、母親が出てくる。







理由は
二つ考えられる。







1、母親もすごく怖がって生きてたから。

怖がってる女が産んだ子供なんだから、私も母親のように世界を怖がってちゃんと、準備しないと生きていけないと思いこんでしまった。






2、母親に愛されてると思えないから。

自分を産んだ母親にすら愛されない人間が私なのだから、他人に愛されるわけがないし、普通にきてたら嫌われる。

だから、嫌われないように毎日頑張らなければいけないし、気を抜くと世界はいつでも私を攻撃してくる。

失敗したり、間違えたり、問題が起きたら、私はいつでも終わってしまう。だから、気を抜かないように頑張らないと。
(コロナになったら終わり。だから、コロナが怖くて仕方ない)









母親との関係性が、
1、か2、のどちらかに該当すると思う。


だから、

「母親はダイヤモンドですか?」


ナリはラテン語で聞きました。










世界に色はない。







全て自分が色付けしてる。







どんな色をつけるかは







自分の心の状態によって
決まってる。






目の前の現実が
問題だと思ったとき。





その現実を
「問題視しなければいけない自分」
が心の中にいるということ。







コロナを舐めろ
とは言わない




ただ、出来る限り対応して
あとは笑っていればいいだけである。





コロナ以外でも
全てがそう







世界に色はない








全てが、自分色








世界 = 自分






世界は、自分色







世界(目の前の現実)について
話してるときは、





それは、
自分自身について話してることと同意






自分とは別に、
目の前の現実があるのではなく、





その現実を作ってるのが、
自分





なぜ、その現実を
作っているのか?






その現実を作るに至った
理由があるはず






それを見つけ出す














だから、
世界は全て自分次第。








「人生を変える」ってのは、目の前の現実についてかんがえるのではなく。

無色の世界を、目の前の現実のような色に色付けしてるのはなぜなのか?

なぜ自分はそんな色つけをするのか?

について考えることです。

※ここで、母親系にぶつかるタイプの人と。ジャッジやプライド高すぎることにぶつかるタイプの人がいる。









母親はダイヤモンド

そこから生まれた私もダイヤモンド

周りの人もみんなダイヤモンド


人生は時間

時間は有限


私は死ぬ


大切なあの人も死ぬ


終わりは必ずくる。


だから、


人生を楽しむ


終わり







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