ナリさんこんにちは!
いつもブログ楽しく読ませてもらってます。
質問がありラインしました。
オタクの心理についてです。
私は何年も前からとあるジャンルのオタクで、それに関することにかなりの時間を費やしてきたのですが、これで本当にいいのかな?もっと現実を見ないといけないんじゃ?と不安になることがあります。
いやそもそも現実ってなに?楽しければいいじゃん。とも思うんですけど。最近は現実も楽しいですし。
何かを好きになってそれに没頭するとき、「夢中になっている」と、「依存してる、現実逃避してる」の違いってなんなのでしょうか?
それをやっている自分をダイヤモンドだと思えているか?とか、その夢中になる対象が自分に関係しているか?とかなのでしょうか。
お時間あればナリさんの考えを聞きたいです、よろしくお願いします。
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素晴らしい質問ですね!
小堺一機を、二つあげましょう。
(ごきげんかw)
オタクと、依存の違い。
熱中と、依存の違い。
つまり。
・依存なのか?
・好きでやってるのか?
の違いやね。
これは、
それ以外のことに勇気が出るかどうか。
ですねー。
例えば、「アニメオタク」だったとしましょう。
僕の大好きなドロヘドロがまさかのアニメ化に驚いていますが。笑。
全然、観る気しないけど。、笑。
アニメが好きな人は、
日々の生活で勇気が出せます。
アニメ依存は、
日々の生活で勇気が出ません。
アニメが好きな人は
アニメのために、日々ダイヤモンドを思い出します。
アニメ依存は、
逃げ道にアニメを利用してるので、日々ダイヤモンドを思い出せません。
宮崎駿に、顔面パンチされます。
庵野秀明に、肘鉄くらいます。
新開誠に、てめぇなんて、名前だ、こら?とキレられます。
野田洋次郎に、今すぐ、来世にしてやろうか!とキレられます。
「男好き」は、
男を手に入れるために見た目だったり、人間的な魅力だったり、ライフスタイルだったりを磨きます。
「男依存」は、
とりあえず、自分で手に入れられるレベルの男を捕まえて、罪悪感やモラハラで男を縛ります。
「自由好き」は
自由に生きるために自分と向き合い、ダイヤモンドを思い出して、自由を手に入れます。
「自由依存(わがまま)」は、
自由になりたい!と叫ぶがこれと言ってもせず、周りや世の中の不平不満を垂れ流します。
それ以外のことに勇気が出るかどうか。
ここが、「好き」と「依存」の違いですなーーーーーー。
子供が好きな親は、
子供のためにダイヤモンドな自分を思い出します。(ダイヤモンドになると「人のため」とは言わなくなるけどね。笑。)
子供に依存してる親は
子供のためといって、親の意見を押し付けます。
ナリはNBAが大好きなので、平日の昼間から、NBAを毎日見れるようなライフスタイルにしました。
(1チーム半年で、82試合あるんだけど、八村塁くんのチームの試合、今の所全部観てるwこんな人、日本でも数少ないと思う、笑。)
ナリはもともとミュージシャンになるために上京したのですが、、「音楽に依存」してましたので、ぜんぜん上達しませんでした。笑。
で、やめました。笑。
当時、音楽は僕に勇気をくれませんでした。
つまり、人生から逃げるために、音楽をやろうとしてたわけですね。だから、上達しない。笑。
好きは勇気をくれる。
依存は勇気を奪う。
この理解で完璧よーー。
子供を愛してて、
→子供のために自分がダイヤモンドを思い出そう!
としてたら子供愛してるんだなーと思う。
子供を愛してて
→お金がなくなるのが不安だから子供のために、離婚できない!
って言ってたら、そこまでだなーwと思う。
それ以外の行動が証明だよねー。
好きは勇気をくれて。
依存は勇気を奪う。
↑
これだけ。