フランクフルトさん!価値には大きく分けて2つあるのよ(・∀・)









フランクフルトさんが言ってるのは、そのうちの一つの「機能的価値」の話だね。

・使える
・使うと効果がある。
・便利

とかそーゆーやつ。

「爪切り」
「耳かき」
「押入れ」
「メガネ」
「入れ歯」
「パワステ(車のハンドル軽く動くやつ)」
「冷蔵庫」
etc...

使えるから!
意味あるから!
便利だから!
使い勝手いいから!
簡単だから!
よくなった!
早い!
軽い!
容量多い!

とかが、「機能的価値」よねーーー。











もう一つが「存在的価値」よん。

※これがあなたの言う「付加価値」ってやつ。つまり、あなたは質問の中でも「機能的価値」と「存在的価値」を混同してしまっておりんす。










存在的価値とは、「直接は使えないのに価値ある」ってことだ。









例えば「樹齢1000年の樹で作った耳かき」とか。笑。

たぶん、樹齢1000年の樹で作った耳かきと、100均の耳かきとで、使い勝手(機能的価値)は変わらん。笑。

だけど、

《樹齢1000年の樹で作った耳かき8000円》

だったら、たぶん買う人いるで笑い泣き笑。うん。余裕でいる。笑。
なぜ、使い勝手変わらないのに80倍も値段が変わるのか??
その理由が「存在的価値」なわけですよ。つまり
存在として、高いのよ。








理由は、









私だから高い。
なのだ。










  




「使えるから高い」では、限界があるのよ。

「めちゃくちゃよく切れる爪切り」は、5000円でもめっちゃ高いと思うけど。笑。

「15世紀フランスでジャンヌ・ダルクが使ってた爪切り」だと、50万でも売れるわけですよ。笑。ちょっと、安いとすら思う。笑。







そんで、存在的価値だけが大きい。

「樹齢1000年の樹で作った耳かき」と、
「15世紀フランスでジャンヌダルクが使ってた爪切り」は、

どちらも、すごく希少だ。










希少なことは、機能的価値にはならない。希少なことは、存在的価値になる。









ほんで、
ナリ心理学で言うダイヤモンドってのは、
機能的価値がないのに。存在的価値があること。
を言ってるわけです(・∀・)









なぜならあなたという存在は、ものすごく希少だから。









時給850円で働いてる人と、年収1000万円の人だと、、後者の方が機能的価値は高い(なぜなら、納税額が高いし、経済を回してるから)

でも存在的価値は両者同じだ。なぜなら、等しく希少だから。









あなたはあなたの時点でものすごく希少。






つまり、
それをダイヤモンドと呼んでるでるでる。







この世の中には、
使えないけど高いもの。
ってめちゃくちゃあるでしょ?(・∀・)あれが、ダイヤモンドってことです。



 





使えるとか、
求められてるとか、
意味がある、
すごい、
何かできる、

とかって、
全部、「機能的価値」

「機能的価値」も大切だけど、

全てじゃない。

「機能的価値」だけを「価値」だと思ってると、常に自分よりすごい人は世の中にいるので、常に自分は「価値のない存在だ」と思うよ。笑い泣き笑。

辛いやろ。笑。







貯金300万あっても。
「世の中の人はもっとあるから、もっと貯めないと!」と思うし。笑。






子供が私立高校行っても
「あの家の子は東大行ってるから、うちの子も行かせないと!」とかなるし。笑。






隣の家がフルオプションのアルファード買ったら
「やばい、うちはフィットだ!次はいいの買わないと!!」とかなるし。







疲れるだろ(・∀・)笑。







世の中には、
「機能的価値が高いことだけ価値が高い」と思ってる人がいるけど。笑。

それは、申し訳ないけどこう説明するしかないけど、単純に「無知」だ。笑い泣き笑。すまん。

残念やけど、ちょっと、、世の中を知らなすぎる。笑。すまんで。笑










だから、「機能的価値が全てである」という世界を辞めてしまうことで、人はダイヤモンドを思い出せるんよ。









2つの価値の話だいたいおっけー?(・∀・)