正解のない世界で、
自分のものさしで勝手に。
あれはすごい。
これはだめ。
あれはかっこいい。
あれはダサい。
あの人は幸せ。
あの人は惨め。
って勝手に測ってるだけで。
何を根拠に言ってんだ!って話だけど。
その根拠は「私はそう思う」ってだけで。
「私はそう思う」は全然いいんだけど。
私「は」なんだから。
他の人「は」思わないのよ。
勝手に決めつけんなって。
って話で。
勝手に決めつけるから、
自分も他人に勝手に「決めつけられる」と
誤解するから。
その誤解で、
「人から見られるのが怖い」とか思うから。
頑張り教になるか。
ナマケモノ教になるか。
頑張り教は人の目が気になるから、人から見られてもいい自分になるように頑張る人で。
ナマケモノ教は人の目が気になるから、人に見られるくらいなら初めから何もしない人です。
頑張り教も、ナマケモノ教も、やってることは正反対だけど、、「やってる理由」は全く同じ。
人をジャッジしてるから、
人にジャッジされるのが怖い。
自分が人にしたことは、
人に自分もされると思うからね。
だから、
勝手に決めつけんのやめよー!
ってことなだけだ。笑。
ほんでもし、
最初の「この世に正解がない」ってところが理解できなかったら、、、
「私の100倍も頭いい人(博士、教授、研究者、アーティスト)たちが、日々一生懸命研究してるけど、、2020年の現時点で、、、《これがこの世の正解である》と答えられるものは、何一つとして存在してない」
って事実を思い出すといいよね。笑。
もし、
この世に正解などがあったならば。笑。
人間は、《正解》から逆算された教育や矯正で、ロボットみたいになるよ。
正解があるってことは、不正解が生まれるわけだからね。笑。
不正解は、正解への邪魔なので罰せられますわ。必ずそーゆー勢力が出てきますわ。まさしく、《全体主義》ってやつね。
《正解》以外は、無駄なので。排除されていきますして。ほんと、荒れ果てた世界になりますわ。それをやったのが、《ナチ○》でしょう。
もし仮に、子孫繁栄が人類の正解なのだとしたら、、子供を産めな産まない女性・男性は、、、不正解になるので、、、不正解な人のために社会福祉を活用できなかったり、、、とか人生の選択肢は限られてくるだろうな(気を悪くしたらごめんなさい。たとえです)
小説や映画や漫画をよく読む人ならわかると思うけど、、、そこに出てくる悪って、大抵《正解がある!》とか言ってて。
主人公という名の《自由》が、、いろいろあってもええやろ!!!!
って成敗するんだ。笑。
そもそも人はなぜ《正解を求めるのか?》だけど。
大きく二つあって、一つが《知的好奇心》ね。
ただ、《知的好奇心的な正解を求める》ってのは、、2020年のこの世界を見てみたらわかるけど、、、まだまだ辿り着いてない。全然、未熟。だから、みんなまだ考えてるのね。
それでいいのさ。
もう一つは《不安だから》です。もーーね。歴史的にみてもこれ。人は不安だと、正解求めます。不景気だと、宗教に入信する人増えますし、悲しい出来事があると祈りますよ。そーゆーもの。
不安な人が正解大好きなんですよ。というか、正解にすがりつかないと怖くて怖くてしかたない。
不安だから正解にしがみつく。これが《盲信》ってやつだ。盲信は、自己防衛の一つなんだよね。
例えば、
正解の代名詞といえば《神様》だけど、神様の成り立ちとか考えてみたらわかりやすくて。
神様って、「当時の人間が理解できないこと納得させてくれる存在」で産まれたのよ。すごい簡単でしょ。笑。
カミナリが、巨大な静電気だってことを知らないころの人間には、カミナリってスーーパーー謎な上に、、、スーーパーー怖いやんww
空が怒ってる!!!!とか思うやん。笑。
人間は、理由がないものをものすごく怖がるようにできてるから、、、、スーーパーー怖いカミナリの理由がわからんかったから、、、とりあえず人間よりすごい何かってことで、それを《神様》としたのよ。
カミナリ以外にも、、当時の人間がわからないことって、たーーーーーくさんあったから、、神様の出番がめちゃくちゃ多かったんよね。
現代の日本だと、、、普段の生活では科学が神様の仕事をどんどん減らしてるから、、、神様の出番はあんまりなくなったよね。笑。
人類の進化って、神を超えていくことだからねー。
「それは神様ではなく、科学ですよ!」って考え方で、、ルネッサンスと呼ぶわけだ(正式には違うけどwまあいいwルネッサンスって言いたいからw)
体にブツブツが現れたら、「なにーーー??なんの仕業だ!!?魔女か!??」とか言ってたわけ。
でも、、、現代じゃ、普通に病院いけば、、、あーー、細菌すねwってなるわけよ。笑。
オーバー・ザ・ゴッドなわけ。笑。
でも、すこし哲学的や科学的なことを考えると、、現代でも「なにこれ?全然わからね!」ってことがたーーーーくさんあるのよ。笑。
そこに、神を置きたくなるのね。
人間て。
でもそれを、この瞬間も世界中の天才たちが研究してくれてるわけ。
でも、1つわかると、また1つ新しくわからないことが生まれるのさ。笑。
追いかけっこなの。でも、この追いかけっこを楽しんでるのが、研究者さんたちよね。
《信仰》として、神様がいる。正解がある。と思うことは、素晴らしいことだと思います。ほんとに。
信仰は、素晴らしいと思う。
ただ、その《信仰心》がいきすぎて、、、この信仰は正しい、、これが正解だ!とか、、思い始めると、、、、。周りの人とケンカしちゃうよね。
ケンカしないでも、、他者をジャッジしてしまうんよね。
信じるということは、素晴らしいけど。それが正解だ!と思うと、不正解に恐るようになるわな。
そんで正解を求めるのは、不安なときだから。不安な時に、他者をジャッジしてしまうのよな。
不安な時って、、本棚に自己啓発本並ぶでしょ?笑。
正解という名の《慰め》が。
僕は、ナリ心理学を作っていく過程で、本当に本当に大切にしてるのが「真理(正解)はない」「意味などない」という考え方なんだけど。
ただ正直、、これを言うたびすこし気が引けてた。笑。
なぜなら、、「真理はある」し「物事全てに意味がある」という考えの人を否定してるように受け取られるかもしれないからだ。笑。
否定する気はまったくないのだけど。
「真理はある」「全てに意味がある」というのは、その人の信仰であって、他人の信仰を否定なんかできないからね。
と、
長々語ってきたけど。w
人類共通の
正解ってないよね。
って話でした。笑。
正解がないってことは、
自動的に不正解もないってことだ。
不正解がないってことは、
否定されることは何もないってことだ。
その自由さを
思い出そうよ。
ってのが、
ジャッジやめようぜ!
って話なんよね。
どう?笑。
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