Dimash《中国神“画”》 第3回(最後)の《大禹治水》ナレーション 2023.12.15

 

 

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  ※ 人名などの説明は 最後にWikipediaをそれぞれ付けている ※

 

昔々のこと、洪水が惨事を起こし、山は水没、墓などを破壊していた。

 

天帝の孫である鯀(こん)は、人々が苦しむのを見ておられず、洪水を鎮めることを決意した。

 

鯀(こん)は 自発的に増殖する土 “息壌”というものが天界にあることを知り、それを盗み 洪水を防ぐ堤防を建設しようとした。

天帝は “息壌”が盗まれたことを知り 大いに怒り、炎帝の子孫である 火の神 祝融(しゅくゆう)に命じて羽山で鯀(こん)を殺した。

 

しかし、鯀(こん)の魂は死ぬことがなく、その屍は三年も腐敗することがなかった。

天帝は、天神に命じて鯀(こん)の腹を裂くと、腹の中から龍が現れ空へ飛び出したのだ。

これを鯀(こん)の子とし、禹(う)と名付けた。

 

禹(う)は人間の姿に変わり、天帝に “息壌(天界の秘宝の土)” を用いて洪水を治めさせて欲しいと請うた。

天帝はその願いを許し、龍を手伝いに遣わした。

禹(う)は “ただ埋めてしまう” だけでは良策ではないと思い、巨大な亀に洪水を“息壌” で埋めさせたのだ。

更に 河の道を変え、洪水の水を東海に流れるように龍に命じた。

 

禹(う)は四方を渡り、黄河までたどり着いた。

黄河の水流は速く、地形も複雑な為、“息壌”や龍を以てしても治めることが困難であった。

禹(う)は、山を越え、尾根を登り 洪水の根源を探ろうとした。

黄河の神である“河伯” はこれに心打たれ、洪水を治める助けとなるべく 禹(う)に黄河の地図を贈った。

大神の 伏羲(ふくぎ)これに敬服し、禹(う)に 大地の度量を行える玉簡を贈った。

 

しかし、黄河の水は竜門山に立ちはだかられ 逆流し、洪水が氾濫してしまった。

禹(う)は、神を派遣し 竜門山を二つに割き、河の水を崖の脇から流し、洪水を治めたのだ。

 

禹(う)は、洪水を治めたことで天下に名を知らしめた。

九尾の狐は縁結びとして、塗山の娘である女嬌を禹(う)に引き逢わせた。

二人は一目ぼれとなり すぐに結ばれたが、禹(う)は 結婚と言う私事で仕事をおろそかにすることはなかった。

新婚四日目には妻と離れ、洪水を治める為に出かけていった。

 

水の神 “共” の部下である水の妖怪 “無支祁(むしき)” が淮河を荒らしており、中原の桐柏一帯に洪水を起こしていたのだ。

禹(う)は 天界の神々を集め、上手く無支祁(むしき)を生け捕りにし、淮河の流れを海に向かわせた。

無支祁(むしき)が捉えられたことに 水の神 “共工” は大いに怒り、大暴れした。

禹(う)は神々を伴い “共工” と戦い、大勝した。

“共工” の家臣である”相柳“ は 巨大な体をしており、蛇の体に九つの首を持ち、山をも食らうことができるという。

その”相柳“ が民の食糧を奪い、暴れまわった。

禹(う)は兵を率いて”相柳“ を殺し、中原を平定した。

 

禹(う)は 洪水を治めることに奔走し、全国各地を渡り 十三年を費やした。

その間、妻ともほとんど会うこともなく、家の前まで来ても入ることなくまた行ってしまうことも何度もあった。

 

その後、禹(う)の妻 女嬌は、巨大な石となり “啓” の母なる石となった。

禹(う)の息子 “啓” が、巨大な石が避けて産まれてきたからだ。

禹(う)は 洪水を治め、諸侯と交流し、民はその功績に感謝した。

洪水を治めた功績は、代々語り継がれ、消えることはないだろう…。

 

 

 

 

 

 

 

※ 今回の神話に興味あれば ご参考まで

 

Wikipedia ↓


「鯀」Wikipedia ↓

 

「息壌」Wikipedia ↓

 

「祝融」Wikipedia ↓

 

 

「伏羲」Wikipedia ↓

 

「女嬌」Wikipedia ↓

 

「無支祁」Wikipedia ↓