ニンテンドークラシックミニファミリーコンピュータ
の話に前回の更新なったのでここで私の体験談に基づくファミリーコンピュータの時代を振り返って記事にすることにします。
小学校時代にファミコンは発売されました。
しかし私がファミコンを手に入れたのは中学1年の時でした。
その半年後にはパソコンゲームに目覚め更にSEGAのゲーム機に目覚めマイナーな道を一直線・・・・
あぁ~小学生時代にファミコンを手に入れていたらと悔やんでも仕方がありません
さて私の最初のゲーム機は安売りされてたインテレビジョンというアメリカからきたゲーム機なのですがこのゲーム機とファミコンとでは圧倒的な性能差がありました。
当時、野球ゲームが好きだった私は野球ゲームさえできればよいと思ってこのインテレビジョンというゲーム機を買ったのですが結局野球ゲームは手に入りませんでした。
性能差がファミコンとどれくらいあるのかはゲーム画面を見てもらえば一目瞭然です
インテレビジョンではスポーツゲームで遊ぶのに必ず二人必要というへぼさ
16bitゲーム機だったけどまだまだAIには弱かったというわけです
それに比べてファミコンは一人でも遊べて画面も綺麗
しかし当時はファミコンがあそこまで一人勝ちするとは思われてなかったし任天堂の生産力も弱かったこともあり品不足が発生
僕のようなファミコン以外のゲーム機パソコンへと一部のユーザーが流れたようです
そのために起きた悲劇は数知れずww
ファミコンの性能は当時としては高くアーケードゲームをほぼそのまま移植できました
これは当時としては凄いことでした。
ファミコン以前のゲーム機やゲームパソコンでは劣化の激しい移植ばかりでした
アーケードゲームを家庭で思う存分遊ぶというのは当時の子供の夢でした。
ファミコンの性能でもアーケードゲームの完全移植はすぐに不可能になりましたがそれでも当時としてはまだ凄かった。
ゼビウスというゲームを知ってる方はわかると思いますがこれが移植されたのもファミコン勝利の原因の一つでした
何十万もするパソコンでも完全移植は長い事無理だったゲームをファミコンは移植できたのです。もちろん完全移植とはいきませんでしたがパソコン版よりもデキがよかった。
まあ当時の私にはゼビウスなんてゲームセンターで遊ぶゲームは縁遠い存在でしたけどね
当時子供はゲームセンターはもちろん駄菓子屋のゲームでさえ禁止という時代
小学校時代は駄菓子屋でさえほとんどゲームを遊べませんでした
高校に入ってゲームセンターにようやく自由には入れるようになりました。
そういう時代背景もあり家庭用ゲームが熱かったというわけです
今思うと中学時代が一番熱かったですね
ファミコン・MSX・セガマークⅢ
そんな時代でした
日本のゲームはファミコンによって始まったと言えるでしょうね
インテレビジョン当時これはいずれレアものとして価値がでるとか言ってたのが懐かしいです