ちゃつみです、ご訪問ありがとうございます。

今日は阪神淡路大震災の日。あれから29年、まだ成人式が1月15日で14、15、16日の3連休を利用して大阪神戸へいきました。


大阪への鍼灸の研修会、次の日から神戸へ観劇と神戸滞在の友達に逢いに行ったのでした。大阪へは当時月に2回鍼灸の勉強会に参加していました。金曜日の夜行バスで大阪へ、土曜日午前中は関西地域の朝から散策して午後から3時間先生の治療室での実践を仰いで大阪に泊まり、次の日のイベント会場での講習会に参加します。そして帰りは新幹線で帰ります。


先生治療室での勉強会は毎週でわたしは第1と第3に通わさせていただきました。土曜日の夜行バスで帰りました。第2土曜と第3日曜月曜が重なった三連休、1月14日は先生の実践勉強会に参加して、この先生は漢方薬薬剤師でもあるので薬草の話もしてくださって。その後神戸へ移動して三ノ宮駅近くのビジネスホテルで1泊。


1月15日は新神戸駅に移動して隣接する劇場で昼の部と夜の部の同じ演目を観劇して新神戸のホテルで1泊、このホテルは当日観劇したカンパニーさんも泊まっていました。


1月16日は朝から友達に会って一緒に神戸を堪能しました。きれいな青空の下、北野の異人館や神戸港を巡り 三ノ宮のデパ地下で買い物をして食事して三ノ宮で別れて新大阪へ移動。新大阪から新幹線に帰宅。


新幹線大阪発最終だったので深夜に帰宅して爆睡。1月17日はいつものように起きて朝のニュースを観ないで出勤。

この時点では気がつきませんでした。 ただ明け方少し揺れたような … マンション
12階でしたから。


出勤して同僚も神戸に行っていたことを知っていて朝の私の顔を見るなり


「ちゃつみさん無事だったのね」って安堵してくださり、何かあったか聞いたら神戸が大変なことにって。

あの日の惨劇をテレビでみて仕事にならず。地震発生時10時間前までわたしは三ノ宮にいました。歩いて楽しんでお土産買って送付してもらう手続きもして。


お土産は届くことはなかったけれどなんの縁かそのお店監修の品物が現在生協宅配にあって必ず買います。

あの日悟ったのは災害時の連絡は兎に角相手からの連絡を待つのが一番。兎に角つながらないから、そのあと災害があったから経験していますよね。

あと被災した友達に言われましたが真水の確保と 一週間分の食事の備蓄の準備は必ずしておくこと。これは後の震災での陸の孤島化されたときに役立ちました。


災害ボランティアもこの震災がきっかけで誕生しました。通常ボランティアなどしていると人のことが気になります。 まず自分の身を確保する事が大切のようです。生きていてなんぼの状況下です。まずは自分と自分の家族のことを考えて落ち着いたらお手をお貸しください。


昨日も触れましたが病気療養者や障害者及び介護者は災害があっても動けません。最終的に家に留まるしか手段はありません。誰も助けられないからとにかく食料の備蓄と水の確保です。お薬も衣料品も医療用品も不足するから備蓄できるものは備蓄を。

災害一ヶ月後かなボランティアのお手伝いで神戸へ行きました。もうあの街の光景忘れない。鉄筋の家が曲がり、シャッターはくの字、道路ひび割れ 点字ブロックは飛び出し危険この上なく。

三ノ宮、新神戸からは道路の関係で入れなかったので新幹線の姫路駅から神戸へバスと歩いて行くというコース。姫路市は何事もなかったようにきれいでした。明石市、神戸市に近づくと街並みが変わってしまいあの光景も都市直下型と言うものを実感。

学ぶものが多かった震災。風化せずに語り伝えたいものです。