(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす



@(光源氏210)A.
亡くなったお方(故紫上)を偲ぶ今夜の村雨に濡れながらやって来てくれたのか。山ほととぎすよ。


(光源氏210)B.
(もう一人前になって巣立っていった)「鳴き人」<鳴く人><夕霧>を(私が)偲んでいた今夜、わざわざ村雨に濡れてやって来てくれたのだろうか。「山ほととぎす」<夕霧>よ。


(光源氏210)C.<鎮魂>
亡き「人」<(護送中に)亡くなった橘逸勢>を偲ぶ今夜の村雨に濡れながらやって来たのか。「山ほととぎす」<托卵><妙冲>よ。





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(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。



あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす‐8.txt


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要旨:


最愛の妻、紫上を亡くし、日々を呆然と過ごす源氏のもとに訪れた、息子の夕霧との贈答歌について、
「ほととぎす」の特徴的な繁殖生態である、<托卵>に関する連想を背景として、和歌の解釈を試みた。


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目次:

(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす

(夕霧37).ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと


メモ:連想詞の展開例など



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では、始めましょう。


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(光源氏210).なき人をしのぶる宵のむら雨に濡れてや来つる山ほととぎす


紫上を亡くし、日々を呆然と過ごす源氏のもとに、息子の夕霧がやってきました。
二人で故人を偲び合います。

「山ほととぎす」は「ほととぎす」を指す歌語の常套句です。
「ほととぎす」は「橘鳥」とも呼ばれます。
「橘」の香は、昔(の恋人)を思い出すよすがの例えとして常用されます。

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五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする (古今、夏、詠み人しらず)
(万葉集10/1978).橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも (夏 雑歌)
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「ほととぎす」「橘鳥」も、<懐古>の情を掻き立てる鳥として和歌で多用されます。

さらに、ホトトギスは、あの世とこの世を行き来する鳥とも考えられていたため、「死出の田長」「魂迎へ鳥」などの別名もあります。

「橘鳥」<ホトトギス><夏告げ鳥><死出の田長><魂迎へ鳥><冥界と現世を行き来する鳥><托卵する鳥>

ここでは、あの世に行った紫上の魂とこの世の源氏との交信の仲立ちをする鳥として、ホトトギスが用いられています。

「雨」は<涙>の例えとして常用されます。


@(光源氏210)A.
亡くなったお方(故紫上)を偲ぶ今夜の村雨に濡れながらやって来てくれたのか。山ほととぎすよ。



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正妻雲居の雁と藤典侍(惟光の娘)との間に、合わせて十人を越える子を持つことになった夕霧。(雲居の雁腹7人、藤典侍腹5人)
そして、藤典侍腹の次男と三女は花散里に、また最も将来を期待する鍾愛の六女(六の君)は、落葉宮に引き取ってもらいました。
家格に劣る藤典侍が育てるより、その方が結局は本人のため、家のためであると考えたからです。
その甲斐あって、六の君は誰もが羨む匂宮の嫁となります。

ホトトギスは、託卵する鳥でもあります。
橘の花に宿り、「夏告げ鳥」<初夏を告げる鳥>と呼ばれます。


****(注207711)参照



源氏の正妻だった葵上は、夕霧を産んで間もなく亡くなりました。
夕霧は花散里の邸から大学寮に通いました。夕霧が元服してからは、花散里は亡き母親代わりとして夕霧の面倒を見ていました。
その意味では、夕霧自身も<ホトトギスの雛>でした。
ちなみに、花散里は麗景殿女御の妹(三の君)ですが、その邸の軒先には、橘が植えられていました。


「なき(亡き)」は「なき(鳴き)」を連想させます。
「鳴き」連用形転成名詞<鳴くこと>

「なきひと(亡き人)」は「なきびと(鳴き人)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「なきひと」と表記されました。

「鳴き人」<鳴く人><ホトトギス><夕霧>
としてみましょう。

そして、あえてこれらのイメージを重ねて、この和歌を訳出してみましょう。


最愛の妻紫上を亡くした心の隙間を埋められるのは、やはり我が子の夕霧だけなのかもしれません。



       忍ぶる
亡き     偲ぶる     宵
なき 人 を しの  ぶる  よ ひ の むら 雨に 濡れて や 来つる 山ほととぎす
泣き     しの  ふる  夜 非
鳴き     篠   降る


(光源氏210)B.
(もう一人前になって巣立っていった)「鳴き人」<鳴く人><夕霧>を(私が)偲んでいた今夜、わざわざ村雨に濡れてやって来てくれたのだろうか。「山ほととぎす」<夕霧>よ。





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夕霧から源氏への返歌です。


(夕霧37).ほととぎす君につてなんふるさとの花橘は今ぞさかりと


ホトトギスは、古来、現世と冥土とを往来する鳥とされてきました。
「魂迎へ鳥(たまむかへどり)」<魂を迎える鳥>という別名もあります。

「君」を<故紫上>としてみましょう。

@(夕霧37)A. 
(冥土を往来する)ホトトギスよ。亡き紫上に言伝てておくれ。昔のお住まいの花橘は今が盛りですよ。



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最愛の妻を亡くし、抜け殻のようになった実父。夕霧は何をしてあげたかったのでしょうか。
豪華絢爛な宴を催すことでしょうか。絶世の美女をどこかから探し出してきて、新たな恋人として、源氏にあてがうことでしょうか。
それとも、かねてからの願いである、出家でしょうか。


源氏が、玉鬘を養女として引き取ったとき、実の父(以前の頭中将)には成人(裳着)までそれを秘密にしていました。
その理由のひとつは、子沢山の頭中将のもとでは、玉鬘ひとりを引き立て、充分な教育を施すことはできないだろう、と予想していたからです。

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父大臣には何か知られん。いとあまたもて騒がるめるが、数ならで、今はじめ立ちまじりたらんが、なかなかなることこそあらめ。我はかうさうざうしきに、おぼえぬ所より尋ね出したるとも言はんかし。
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幼い頃からの親友で、愛すべき好人物ではあるけれど、源氏から見れば、何かと至らぬ点も多い頭中将。
一方、自分なら、子も少ないし、教育も、周囲への目配せ根回しも、万事抜かりなく、理想的な姫君に育て上げられるだろうと考えていました。
実際、前斎宮(六条御息所の娘)梅壺女御(のち秋好中宮)、明石姫君(のち明石中宮)も、ともに入内を果たし、天皇の后となりました。


正妻雲居の雁と藤典侍(惟光の娘)との間に、合わせて十人を越える子を持つことになった夕霧。(雲居の雁腹7人、藤典侍腹5人)
子育てはさぞ大変だったことでしょう。ひょっとして、一人くらい、源氏に育ててもらい、理想的な教育を施してもらいたいと感じたことはなかったでしょうか。
入内すれば、自身の権勢の心強い基盤ともなるのですから。
実際、藤典侍腹の次男と三女は花散里に、また最も将来を期待する鍾愛の六女(六の君)は、皇女たる落葉宮に引き取ってもらったのです。
家格に劣る藤典侍が育てるより、その方が結局は本人のため、家のためであると考えたからです。
その甲斐あって、六の君は誰もが羨む匂宮の嫁となります。


ほかならぬ夕霧自身も、源氏の意向により、六位に落とされたことで、勉学に発奮して政局に左右されない実力をつけ、現在の地位まで上り詰めました。
源氏の子育て、教育の方針を誰よりも信頼していたのは夕霧ではないでしょうか。
藤典侍腹の子らは、正妻雲居雁の子たちよりも、むしろ出来が良かったようです。
我が子の資質に気付いたとき、夕霧はそれを充分に開花させてあげたいと感じたことはなかったでしょうか。
充分なリソースをつぎ込んで、理想的に育てたいと感じたことはなかったでしょうか。

そして、何より、抜け殻のような我が父が、再び子育てのために生気を取り戻すのを見たかったのではないでしょうか。


ホトトギスは、託卵する鳥でもあります。
橘の花に宿り、「夏告げ鳥」<初夏を告げる鳥>と呼ばれます。

「君」を<源氏の君>としてみましょう。
「ホトトギス」は、<夕霧>なのかもしれません。
夕霧自身も、花散里の邸から大学寮に通いました。
その意味では、夕霧も<ホトトギスの雛>でした。


(夕霧37)B. 
(託卵する鳥)ホトトギスよ。源氏の君に伝えておくれ。六条邸の橘は今が盛りだと。
(人生はこれからですよ。私の子をひとり、育ててみてくれませんか。)






かねてからの源氏の希望、出家しての隠遁生活を、夕霧が望んでいるようには思えません。
もしそうだとしたら、「ふるさとの花橘は今ぞさかり」などとと呼びかけるでしょうか。

かつての華やいだ六条邸のなかで、もう一度源氏の姿を見たい、夕霧はそう思っていたのではないでしょうか。
失ったものは、忘れ去ることではなく、新たに生み出すことによってのみ埋め合わせられると。



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ここでちょっと、
和歌の直前にある地の文を見てみましょう。



直前の地の文:
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(地の文).
何ごとにつけても、忍びがたき御心弱さのつつましくて、過ぎにしこといたうものたまひ出でぬに、待たれつる山ほととぎすのほのかにうち鳴きたるも、
「いかに知りてか」
と聞く人ただならず、、、

@(地の文)A.
(源氏は亡き紫上を思い出して)、何事につけても、こらえ切れぬお心の弱さを恥ずかしくお感じになるので、過ぎた事はあまりお話に出さずにいらっしゃると、心待ちにしていたホトトギスの鳴く声がかすかに聞こえたのも、
「いかに知りてか」
と聞く人(源氏)の心は落ち着かず、、、
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「いかに知りてか」というセリフは、下記の引き歌を背景としています。

***「いかに知りてか」**********************************
いにしへのこと語らへばほととぎす いかに知りてか古声のする (古今六帖、五)
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「ただならず」は大学入試頻出語です。
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(古文単語ゴロゴ324).ただの奈良漬で妊娠する。
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「ただならず」<ただごとではなく><普通ではなく><落ち着いてはいられず><妊娠して>

「いか」は「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。
「いか」を<おぎゃあ><赤子の泣き声>
としてみましょう。
「いか」が<五十日(いか)の儀><産後五十日目のお祝い>を連想させることも興味深く思われます。

「つつまし」は「つつ」<ツツドリ><托卵する鳥>
を連想させます。

「たまひ」は「たま(玉)」<玉子><卵>
を連想させます。



ところで、
「つる」助動詞<完了>は「つる(鶴)」を連想させます。
「鶴」は<光源氏>を連想させます。

***「亀」「長寿」<子も産めないくせに生きている女>、「たづ(田鶴)」<鶴><光源氏>**********
(秋好中宮の侍女3).亀の上の山もたづねじ舟のうちに老いせぬ名をばここに残さむ
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詳細はこの歌のファイルをご参照下さい。




「過ぎにし子」を、<昔の子><(自分のところを)通り過ぎて行った子><(源氏が)かつて花散里に預けた子><夕霧>
としてみましょう。

そして、これらの連想のイメージを、あえて訳文に重ねてみましょう。



    事
過ぎにしこと、いたうものたまひ出でぬに、、、
    子と、


(セリフ)B.
「かつて花散里に預けた子」と、あまり(夕霧のことを)話にはお出しにならないけれど、
待っていたホトトギス<夕霧>が鳴く声がかすかに聞こえるにつけても、
「『おぎゃあ』の声で分かったのだろうか。」と(托卵した我が子の産声を聞いた親鳥は)落ち着いてはいられず、、、
(「ホトトギス」<源氏>は、花散里に預けた卵(夕霧)が孵った(一人前になった)ことを、その鳴き声を聞いて知ったのだろうか。)



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もっとも、後述するように、これらの連想は、あくまで私の脳内のイメージ連鎖です。
このような主観的なイメージを重ねて行うこの種の<読み替え>は、その気になれば人それぞれ、いくらでも出来るものですが、
あくまで一つのタタキ台としてここに示しました。

皆さんの脳内では、どのようなイメージが重なりますか?
ご自身の連想を重ねてみて下さい。


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(八宮5).われ亡くて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ
(薫10).いかならむ世にかかれせむ長きよのちぎり結べる草の庵は
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さて、
ここから先は、これまでに輪をかけて、私の強い主観が入っていますから、そのつもりでお読み下さい。
というより、ヒマと物好きで無い方は、ここで終りにして下さい。

ここまでお付き合いありがとうございました。


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紫式部が生きて源氏物語を書いた時期は、ちょうど平安貴族政治の最盛期、道長の摂関政治の全盛期と重なります。


ちなみに、「安和の変」では、菅原道真と同様に、源高明が藤原氏の讒言によって大宰府に配流されました。
しかし、配流の数ヵ月後に左大臣になった藤原師ただが、その年の内に亡くなり、さらに翌年には摂政だった藤原実頼が亡くなりました。
当時、これらは源高明の生霊による祟りだと考えられました。


道真は「昌泰の変」で、また、後に高明は「安和の変」でともに大宰府に左遷されましたが、共通点は他にもあります。
それは、政権から藤原氏の勢力を削ごうとした、という点です。また、どちらも、政界から放逐されたのは、藤原氏側の謀略と考えられています。



***「源高明」<源氏の最後のエース> *******
冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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***「冷泉天皇」と「他氏排斥」と「源氏物語」*********
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。

では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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藤原氏の貴族政治繁栄の陰で、他氏排斥などによって不幸に追いやられた人々の<鎮魂>のために、源氏物語は書かれた、
と井沢元彦さんはおっしゃっています。




ちなみに、藤原兼家は摂政まで上り詰め、また、道長含む三人の息子が摂政関白となり、二人の娘が天皇に入内した、という権力の中枢にいましたが、
その第二夫人であった藤原道綱母は、「安和の変」に際して、「蜻蛉日記」に興味深い呟きを残しています。

***「蜻蛉日記」(72段)<高明配流><義憤>***********
身の上をのみする日記には入るまじきことなれども、「悲し」と思ひ入りしも、誰ならねば、記し置くなり。
<自分の身の上に関することだけを書く日記には入れるべきではないことではあるけれど、「悲しい」と身にしみて思ったのも、他ならぬ私なので、書き留めておくことにする。>
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道綱母も、藤原北家の出ですが、同じ体制(藤原氏)側の彼女から見てすら、「安和の変」<高明流罪>は、義憤を感ぜざるを得ないほど理不尽なものだった、ということなのでしょう。



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「安和の変」が<他氏排斥の完成>と位置づけられるのに対して、
「承和の変」は、藤原氏の<他氏排斥の始まり>に当たるとされています。

ここでちょっと「承和の変」に目を向けて見ましょう。


***「承和の変」*************************************
淳和上皇が崩御した2年後の842年、嵯峨上皇も病に斃れます。
恒貞皇太子に仕える春宮坊帯刀舎人伴健岑と橘逸勢は、皇太子の身を案じて、東国へ移すことを企てたと言われています。
これが発覚し、謀反と疑われて、嵯峨上皇崩御の二日後に、伴健岑と橘逸勢は捕縛されます。
しかし、二人は拷問されても罪を認めませんでした。

藤原良房は、自分の娘の明子を道康親王(後の文徳天皇)に嫁がせています。
仮に恒貞皇太子が廃太子となり、皇太子の座が道康親王に廻って来れば万々歳です。
道康親王が天皇になり、明子との間の息子、惟仁親王が天皇になれば、良房は晴れて外祖父として政権を手中に出来るからです。
良房の妹の淳子が嫁いでいる、その時の仁明天皇は既に良房の味方なのですから。

やがて仁明天皇により両者が謀反人であるとの詔勅が出されました。
伴健岑は隠岐、その後出雲に、橘逸勢は「非人」と姓を改められた後に伊豆へ流刑となりました。
さらに恒貞皇太子は廃太子となりました。
この事件を「承和の変」と呼びます。
「承和の変」では、上記三人だけでなく、伴氏、橘氏、紀氏など他氏の面々、および藤原氏でも良房サイドではない人たちが、多数処分されました。
その数なんと六十人余りに及んだそうです。
「承和の変」は、藤原氏の他氏排斥の始まりに当たるとされています。

橘逸勢は伊豆への護送途中の遠江国板築(浜松市三ケ日本坂)で亡くなりました。
六十を過ぎた父親を案じて後を追ってきた逸勢の娘は、板築駅で父の死を知り、嘆き悲しみました。
娘は父をこの地に埋葬し、自身は尼となり妙冲と名乗り、墓の近くに草庵を結び、菩提を弔い続けたそうです。
(wikipedia)

死後にこれは冤罪であったとされ、橘逸勢は従四位下の位を追贈されました。
また、濡れ衣で死に追いやられた橘逸勢は怨霊になったと考えられ、863年の御霊会では、文屋宮田麻呂、早良親王、伊予親王などとともに祀られました。
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父親の身を案じて後を追ってきた逸勢の娘は、板築駅に着くや否や、矢も盾もたまらず、父がどうなったか、息せき切って駅吏に尋ねました。
せき立てる娘に対して、駅吏は、何はともあれこう答えました。

「立ち話もなんだから、とりあえず中へ」



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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、他氏排斥の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。



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***「松」「藤」「橘」「柳」**************
大きなる「松」に「藤」の咲きかかりて月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなきかをりなり。
「橘」にはかはりてをかしければさし出でたまへるに、「柳」もいとうしだりて、築地もさはらねば乱れ伏したり。
(「蓬生」の帖)
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ちなみに、「蓬生」の帖の主役は、没落貴族の令嬢、末摘花です。



「松」は屏風絵などで、しばしば「藤」とともに描かれ、「松」は<天皇家>、それに絡まる「藤」は<藤原家>を指すこともあります。(「和歌植物表現辞典」)

******「松」<天皇家>「藤」<藤原家>「春日」「春日大社」<藤原氏の氏神>************
千歳ふるふたばの「松」にかけてこそ「藤」の若枝は「春日」さかえめ (後拾遺集、賀、440、源顕房)
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奈良の春日山にある春日大社は藤原氏の氏神です。「春日詣で」、とは春日大社参詣、とくに藤原氏の氏長者による参詣を言います。





ちなみに、兼家夫妻が若い頃、風になびくススキになぞらえて、兼家の訪れを詠んだやりとりがあります。

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(蜻蛉日記47 兼家).穂に出でば「まづ」なびきなむ花「薄」 「こち」てふ風の吹かむまにまに
@(蜻蛉日記47 兼家)A.
来て欲しいと言葉にしてくれれば、東風吹けばなびくススキのように、真っ先に訪ねていくのに。

帆に出でば「まづ」なびきなむ花「薄」 「こち」てふ風の吹かむまにまに
(蜻蛉日記47 兼家)B.
(道真公が)帆船で西に出発すると、「まつ(松)」<天皇>は「まぜ(南風)」<春日大社(藤原氏)からの南風>になびく。
東風が道真公の方に吹くタイミングの間を縫って。(京で藤原氏が実権を奪ったとの噂が道真に届かぬように)
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「柳」が<柳に風と受け流して逆らわないこと>の意味を持ち、<権勢に逆らえない人々>を連想させるように、
「薄」は<時流になびく人々>をも連想させます。

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(蜻蛉日記129.道綱母).山風のまづこそ吹けばこの春の柳の糸はしりへにぞよる
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詳細は上記の歌の解釈をご覧下さい。




歴史上、<他氏排斥の開始>と位置づけられる「承和の変」によって、橘逸勢らは政界から葬り去られました。
この「承和の変」のエピソードを下敷きとして、橘氏の<鎮魂>の観点から、この歌の<読み替え>を、以下試みてみましょう。
もっとも、上述のように、この種の<読み替え>はキリが無い、としたものですが、あくまでタタキ台としての試みです。


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「むらさめ(村雨)」<急に激しく降り過ぎる雨><にわか雨>

「しの(篠)」<竹><笹><群生する細い竹><篠竹>
「篠を突く」<(篠を突き立てたように)激しく雨が降る>
「篠を乱す」<激しい雨と風で荒れる>

「しのぶ(忍ぶ、偲ぶ)」バ行上二段他動詞<じっとこらえる><堪える><包み隠す><秘密にする><人目を避ける>
「しのふ(偲ふ、忍ふ)」ハ行四段他動詞<思い慕う><恋い慕う><懐かしむ><思いを馳せる><賞美する>


       忍ぶる
亡き     偲ぶる     宵
なき 人 を しの  ぶる  よ ひ の むら 雨に 濡れて や 来つる 山ほととぎす
泣き     しの  ふる  夜 非
       篠   降る


「亡き人」<故人><護送中に亡くなった橘逸勢>

「橘」の香は、昔(の恋人)を思い出すよすがの例えとして常用されます。
また、「ほととぎす」は「橘鳥」とも呼ばれ、<懐古>の情を掻き立てる鳥として和歌で多用されます。
「山ほととぎす」も歌語の常套句です。

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五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする (古今、夏、詠み人しらず)
(万葉集10/1978).橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも (夏 雑歌)
*************************

ホトトギスは、あの世とこの世を行き来する鳥とも考えられていたため、「死出の田長」「魂迎へ鳥」などの別名もあります。

「橘鳥」<ホトトギス><夏告げ鳥><死出の田長><魂迎へ鳥><冥界と現世を行き来する鳥><托卵する鳥>

ちなみに、ホトトギスと同じくカッコウ科のカッコウ(これも託卵鳥)の別名は、「呼子鳥(よぶこどり)」です。




「亡き人」は、伊豆への配流の途上で亡くなった橘逸勢を連想させます。


橘逸勢は「非人」と姓を改められた後に伊豆へ流刑となりました。
そして護送途中の遠江国板築で無念の内に亡くなりました。

「なき人」は「(人で)なき人」<人では無い人><非人>
をも連想させます。


「橘鳥」の<別名>「ほととぎす」に、
「橘」の<別姓>「非人」「(人で)なき人」のイメージを重ねてみましょう。



ちなみに、処罰として理不尽な改名を強いられた例は、
「和気清麻呂(きよまろ)」を「和気穢麻呂(きたなまろ)」に、
清麻呂の姉の「広虫(ひろむし)」は「狭虫(さむし)」に、
「不破内親王」を「厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)」に、
など、いくつか例があります。
今なら考えられない、冗談みたいな話ですよね。


「なき(亡き)」は「なき(泣き)」「なき(鳴き)」を連想させます。
それは、涙に暮れて亡き父の菩提を弔うために尼となり名を変えた娘、「妙冲」を連想させます。


「ほととぎす」は托卵する鳥でもあります。
それは、<親と離れ離れになった子>を連想させます。

「ほととぎす」<托卵><親と離れ離れになった子><逸勢と離れ離れになった妙冲>


***「遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥」*******************
(万葉集09/1755).
鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 
卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 
鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥
(雑歌 高橋虫麻呂歌集)
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「村雨」<急に激しく降り過ぎる雨><にわか雨>
「村雨に濡れて」は、<思いもしなかった>「濡れ衣」を連想させます。


伴健岑は長年の盟友とはいえ、橘逸勢は伴と恒貞親王のことをかりそめにも口にしたことを、<口は災いの元>と悔やんだと言われています。

***「濡れ衣」「口に死」<口は災いの元> *****************
(夕霧25).おほかたはわれ「濡れ衣を」きせずとも「くちにし」袖の名やはかくるる
「くちにし(朽ちにし)」は「口にし」「口に死」を連想させます。
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心ならずも謀反の濡れ衣を着せられた上に、理不尽な改名を強いられ、無念の内に死に追いやられた橘逸勢や、父を悼む娘妙冲の<鎮魂>の観点から、
この歌を解釈し、上記のようなイメージを重ねて、あえて訳出してみましょう。
橘逸勢に対して「非人」でなくあえて「人」と呼びかけるのは、<鎮魂>のためなのかもしれません。


(光源氏210)C.<鎮魂>
亡き「人」<(護送中に)亡くなった橘逸勢>を偲ぶ今夜の村雨に濡れながらやって来たのか。「山ほととぎす」<托卵><妙冲>よ。



皆さんは、この歌にどんなイメージを重ねますか?
興味ある方は、自分自身の<読み替え>を試してみて下さい。



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メモ:

連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。



「橘鳥」<ホトトギス><夏告げ鳥><死出の田長><魂迎へ鳥><冥界と現世を行き来する鳥><托卵する鳥><花散里>

托卵‐花散里‐夕霧‐
托卵‐かぐや姫‐紫上‐



「雨」は<涙>の例えとして常用されます。


「いか(如何)」:
「いか」「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>


「なき(亡き)」「なき(泣き)」「なき(鳴き)」




「ただならず」<ただごとではなく><普通ではなく><落ち着いてはいられず><妊娠して>

「いか」「いかいか」「いがいが」<赤子の泣き声の擬音語><おぎゃあおぎゃあ><産声>を連想させます。

「いか」が<五十日(いか)の儀><産後五十日目のお祝い>を連想させることも興味深く思われます。



「むらさめ(村雨)」<急に激しく降り過ぎる雨><にわか雨>

「しの(篠)」<竹><笹><群生する細い竹><篠竹><「しのぶ」の掛詞>

「篠を突く」<(篠を突き立てたように)激しく雨が降る>
「篠を乱す」<激しい雨と風で荒れる>

「しのぶ(忍ぶ、偲ぶ)」バ行上二段他動詞<じっとこらえる><堪える><包み隠す><秘密にする><人目を避ける>
「しのふ(偲ふ、忍ふ)」ハ行四段他動詞<思い慕う><恋い慕う><懐かしむ><思いを馳せる><賞美する>


「村雨」<急に激しく降り過ぎる雨><にわか雨>
「村雨に濡れて」は、<思いもしなかった>「濡れ衣」を連想させます。




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(八宮5).われ亡くて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ
(薫10).いかならむ世にかかれせむ長きよのちぎり結べる草の庵は
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ここまで。
以下、(注)


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(注207711)



「托卵」について、興味深い知見を以下に記しておきます。



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ホトトギスは、托卵する際、巣にあったウグイスの卵を食べたり巣から落としたりするそうです。
また、ホトトギスに限らず、托卵する鳥の卵は、托卵される鳥(寄托鳥)の卵より早く孵化します。
一足先に孵化したその雛が、寄托鳥の卵を巣からみな落としてしまうこともあります。
全ては、育児のリソースを独占するための托卵鳥の戦略です。
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ある日、巣に戻ってきたウグイスは、卵の数が足りないことに気づきました。
一足先に孵化した(ホトトギスの)雛に、ウグイスはこう尋ねたそうです。
「お前、何か企んでるのか?」



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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、この和歌をわざわざ解釈しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。





ちなみに、
かぐや姫が月に昇天したのと同じ陰暦八月十五日(中秋の名月)に、紫上は亡くなりました。
竹取の翁が、ある日山から突然かぐや姫を家に連れ帰ってきたように、源氏は北山から、ある日突然紫上を京に連れて来て、自邸で養育し始めました。


***「竹」<隠し子>「鶯」<托卵>**********
ちなみに、中世に見られる「かぐや姫」の異説の多くが、<竹やぶで見つけた鶯の卵から生まれた>という話になっています。

(参考:角川書店編「ビギナーズ・クラシックス 竹取物語」)

「鶯」は、<托卵される鳥>であることは示唆的です。
ウグイスはホトトギスに托卵されます。
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「托卵」は、鳥だけでなく魚にもみられるそうです。



***「カワスズメ」「口内保育」「カッコウ」ナマズ「真性托卵」「子殺し」*****************
(参考:ナショナル・ジオグラフィック、「愛すべき魚の知的生活」,etc.)
カワスズメ(シクリッド)は口内保育の魚として知られています。
卵が親の口の中で孵化し、稚魚が自分で泳げるようになると、母親は口から子を吐き出し、外で泳がせるようになります。
でも敵が現れたりするとまた口の中に吸い込みます。稚魚の群れを口先からすっと吸い込み、たちまち稚魚が消えてしまうのは、まるで魔法を見ているようです。

カワスズメ類2000種中七割が口内保育するほどに、この戦略は淘汰され残っています。それほどに適応度の高い戦略と考えられているようです。
しかし、タンガニーカ湖のカワスズメでは、その名も「カッコウ」ナマズというナマズがカワスズメの産卵場の真上に来て自分の卵を産んでいきます。
カワスズメの親はそれに気づかず、自分の卵もろとも口に吸い込んで保育します。
そして、ナマズの卵がカワスズメの卵より先に孵化し、なんと、カワスズメの卵を全部食べてしまうのです。
ナマズに寄生されたカワスズメの親も、他のカワスズメと同じように口から子を吐き出し、外で泳がせます。
その姿を見ても、親はそれが実の子でないことに気づきません。ナマズ幼魚の外観が成魚と少し異なるためです。
相変わらず、敵が来たらそのナマズを口内に匿(かくま)って守ってあげます。
他ならぬその幼魚は、遠からず成魚となり卵を産んで、また自分達の卵を殺すことになるとも知らずに。。。
それとも、その子が<托卵>であることは、ひょっとして百も承知の上で、ただ、情が移って今さら捨てられなくなってしまったということですかね?
皆さんはどう思いますか。
このように、育児を完全に他種に依存することを、「真性托卵」と言います。
ちなみに、カッコウナマズが真性托卵魚であることは、1986年に、京都大学の佐藤哲さんによって示されました。
これは「真性托卵」の魚類における世界最初の報告例だったそうです。
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主な托卵鳥を、参考までに以下に記しておきます。


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托卵鳥:カッコウ
卵:灰白色、青灰白色
寄託鳥:
モズ、オオヨシキリ、ホオジロ(しとと)、アオジ(あをじとと)、キセキレイ(とつぎおしへどり)、コヨシキリ、セッカ
セキレイ(まなばしら)

ホトトギス
卵:褐色
ウグイス、ミソサザイ、センダイムシクイ、イイジマムシクイ、アオジ、ベニマシコ、シマセンニュウ、ウチヤマセンニュウ、クロツグミ

ツツドリ
卵:白色、淡褐色
センダイムシクイ、メボソムシクイ、ウグイス、サンコウチョウ、ビンズイ、メジロ、キビタキ、オオルリ、ノジコ、アオジ、モズ

ジュウイチ
卵:淡青色
コルリ、オオルリ、キビタキ、ルリビタキ

(大田眞也「里山の野鳥百科」)
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セキレイが立派な巣を完成させたのを見て、カッコウが呟きました。
「フフフ、格好の餌食だぜ」




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何その上手いこと言ったみたいな顔。腹立つ。
(増田こうすけ「ギャグまんが日和」妖怪ろくろ首)
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これが言いたかったためだけに、托卵の話題をわざわざ付け足しました。
長い前フリですみません。


とはいえ、乗りかかった船なので、ひと段落するまでためしに書き続けてみましょう。
興味の無い人は、ここで読み終わって頂いてかまいません。
ここまでお付き合いありがとうございました。






ちなみに、ムクドリ(椋鳥)では種内托卵がみられるそうです。
また、
北米インディアナ州南部では、昆虫が大量発生したときに、通常は非托卵性のキバシカッコウがハシグロカッコウへ托卵します。
ムクドリの種内托卵などと同様、托卵の習性は流動的なものだそうです。







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