先日、鹿児島市内の某ホテルで「喜寿の祝い」を兼ねて高校同窓会が行われた。


 

一緒に卒業した同級生33名の内、10名の友が既に亡くなり、5名が消息不明、連絡のついたメンバーの中から12名が参加となった。

 

 

遠くは大阪、兵庫から、そして奄美大島、屋久島を始め県内各地から高い交通費、宿泊費を負担しての参加者も多い。

 

 

高校卒業以来57年が経過し、なかには卒業以来初めて見る顔、何十年ぶりに見る顔等、様々な顔ぶれである。

 

 

私たち同級生は、昼間は働き、夜は学校で学ぶという夜間高校の同志・仲間である。

 

 

私自身は、中学校を卒業して15歳の春から社会に出て、昼間は印刷工として爪の中まで真っ黒にして働いていた。

 

 

1年後、指先が薬品負けして爪が根元から溶けてきたので不安を感じ退職、

 

 

その後、文具店に転職し配達仕事に従事した。

 

 

雨の日も、風の日も、雪の日も、単車で文具類や紙製品を積んで市内を1日中走り回り、高校を卒業するまで勤めた。

 

 

なかでもミゾレの日はつらかった。

 

 

雪は単車で走っていても、やんわりと柔らかく顔面に当たるので痛さは感じないが、ミゾレは雪になる前の冷たい粒が、直接顔面を叩くように当たり、痛いとともに走りにくいのである。

 

 

おまけに自分は濡れても商品の紙製品を濡らす訳にいかない。

 

 

自分の身を護る以上に商品を守るのに気を遣った。

 

 

ある寒い雨の日、小便が出そうなのに雨合羽を脱ぐのが面倒くさくて我慢して単車を飛ばしていた。

 

 

膀胱がドックンドックンとしていたが、いつの間にかそれも忘れていた。

 

 

そして、ある幼稚園に商品を届けた際、事務室の中の暖房がムッと体に感じた瞬間、

 

 

膀胱がはじけて小便が垂れ流しとなった。

 

 

慌てて膀胱に力を入れて小便を止めようとするが止まらない。

 

 

ドバドバッと足元に流れ落ちる。

 

 

その時私は17歳、相手は幼稚園の若い先生方の目の前である。

 

 

商品を投げ捨てるように置き、そのまま逃げ去った。

 

 

そのまま着替えのため単車を飛ばし実家へ走る。

 

 

情けなくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

 

 

単車で走りながら涙の粒が後ろに弾けて飛んだ。

 

 

今、思い出してもその時の映像が脳裏に浮かび胸を締め付ける。

 

 

このような経験を通じて、少しずつ私は精神が強くなったように思う。

 

 

少々のことには辛いと思わなくなった。

 

 

その他の級友たちも皆、自動車整備工や配電工、花・米・酒店の配達、クリーニング店、大工、歯科技工士見習い等々、何らかの仕事をもっていた。

 

 

夜は教室内を煌々と照らす蛍光灯の下での授業、

 

 

なかには昼間の疲れで睡魔に負けてウツラウツラする友もいる。

 

 

私もその常連の一人であった。

 

 

その他、うす暗い校庭での体育授業、遠足や運動会等々、4年間苦楽を共にしてきた。

 

 

何が楽しみかというと、学校に行けば同じ悩みや楽しみを共有する友がいる。

 

 

顔を見る楽しみ、雑談をする楽しみ、それだけで十分だった。

 

 

私は彼らを心の友、「心友」と位置付けている。

 

 

実際、私はこれまで76年間生きて来たが、長い人生の中での僅か4年間、

 

 

人生の厳しさ、楽しさ、喜びや悲しみ、つらさを学び、人間としての基本的な生き方を教えてくれた内容の濃ゆい充実した4年間であった。

 

 

同窓会は高校卒業以来初めて参加する友もいて、白髪頭や銀髪、頭部が光り輝いている友、太って貫禄がでた友、痩せた友、しわの数が増えたのはお互い様、

 

 

皆、どこかに少年時代の面影は残しているが、立派なジーさんの風貌であり、表情である。

 

 

皆、嬉しそうである。全員が笑みを浮かべている。

 

 

会は幹事である私の進行で始まったが、挨拶の後、今日「喜寿の祝い」を共に祝えなかった亡き友への冥福を祈って黙とうを捧げ、そして記念写真、乾杯と続き宴会に入る。

 

 

あとは無礼講である。

 

 

「オイが、ワイが」「元気じゃったけ?」と鹿児島弁が飛び交う。

 

 

名前は昔なじみの呼び捨てである。

 

 

そこには社会で成功したとか、学生時代、頭が良かったとか、悪かったとかは全く関係ない。

 

 

皆同等である。

 

 

これが同窓会のいい処なのである。

 

 

呑むほどに、酔うほどにボルテージも上がり興奮度も増してくる。

 

 

話の中心は学生時代の想い出や亡き友の話題、これまでの歩み、年寄りにありがちの病気や孫の話も・・・。

 

 

話題は尽きない。

 

 

中にはハンカチを目に当てる友もいる。

 

 

それぞれの近況報告の時間では、高校卒業以来の道のりや現況等、身につまされる話が続く。

 

 

楽しい時間はアッと言う間に過ぎ、最後は我がクラスで4歳上の年長者であった級友に締めの挨拶をしてもらった。

 

 

このように夜間高校というのは、諸般の事情から中学校を卒業後、社会に出て1年以上経ってから向学に燃えて入学し、勉学に励む友も多かったのである。

 

 

私達のクラスだけでも33名中7名が年長者だった。

 

 

2次会は場所を移動し天文館のカラオケ店である。

 

 

舟木一夫の「学園広場」や「仲間たち」の学園ソング、橋幸夫、西郷輝彦、北原謙二の青春歌謡、吉幾三や鳥羽一郎、千昌夫の演歌、石原裕次郎のムード歌謡等々昔懐かしい名曲が次々と、

 

 

情感たっぷり唄う友、キーが合わずに声が裏返る友、ダミ声を振り上げる友、

 

 

それぞれの思いがこもったであろう歌を、時には肩組みながら、少年のようにはしゃぐ。

 

 

飲み放題のアルコールも次々にお代わりし、誠に元気なジーさん軍団の歌合戦となった。

 

 

笑うなかれ!

 

 

このようなジーさんたちの世代が、今の時代みたいに「働き方改革」といった難しい問題もなく、若い頃からガムシャラに働き、現在の日本発展の礎を築いてきたのである。

 

 

残り少なくなってきた人生、この位、はしゃいで騒ぐのは、許されるのでないか?

 

 

楽しい時間はアッという間に過ぎた。

 

 

次の同窓会は3年後の「傘寿の祝い」として行おうということになり。

 

 

最後の最後は23年後の「100歳長寿記念」での再会を約束して同窓会の幕は閉じたのであった。

 

 

心友たちよ有難う

 

 

本当に有難う。

 

 

それよりも今、ここにこうして元気で生きていることに感謝しなくちゃネ!

 

 

先に黄泉の世界に逝った心友たちも空の上から見ているだろうヨ!