1 お詫び
誤って2025年8月から2026年6月までのブログ記事を削除してしまいました
この間の記事に「いいね!」や「コメント」を寄せていただいた皆さま方のデータも消えてしまいました
調べてみると、削除した記事は公式には復旧できないとのことで、アナログ人間の悲しさを痛感しています
誠に申し訳ありませんでした
2 人生の転換点 「Kさんとの出会い」
年金生活の私は他のブロガーさんのように
仕事を持っていない
趣味も特になし
将来への展望も特にない
金もない(三度三度の飯を食べられるだけで満足)
旅行や料理を好んですることもない
政治や経済への興味も特にない(世界の平和と子供・孫たちの幸せは常に願っている)
ない、ない尽くし(暇はいくらでもあるが・・・)でブログに挙げるようなネタもそうそうない
それでも昔を語るにはこれまで生きてきた79年の歴史があり、今回のテーマを決めた次第である
私はこれまで人生の転換点として
第1 「高校入学」(2020.9.20付)
定時制高校に入学した私は、昼は働き夜は学校で学ぶという生活を通じ、昼間の高校を卒業した連中に「負けてたまるか」というハングリー精神がその後の社会人とし
ての自分に大きな影響を与え活力源となった。
第2 「消防への道」(2020.9.30付)
高校を卒業し東京に出て警察官になるか、消防官になるか迷っていた私に母の放った一言「消防は人助けの仕事である」で、消防への道を志し大きな転換点となった。
第3 「父の交通事故」 (2020.10.15付)
父が交通事故で重傷を負ったため、当時勤めていた東京消防庁から地元鹿児島の消防に改めて試験を受け直し、猛勉強の末、合格できたことが私の人生の大きな大きな転換点となった。
第4 「昇任試験失敗」(2020.10.30付)
消防の世界では階級が上がるためには競争試験を突破しなければならない。その最初の昇任試験に失敗したことが、私の「ハングリー精神」に火を付け、その後の消防人生の大きな転換点となった。
第5 「Sさんとの出会い」(2022.5.12付)
このブログにも何回か登場した消防の先輩で1歳年上のSさんは、豊富な知識と卓越した指導力、包容力に満ち、多くの職員の信頼と尊敬を受け、消防幹部への道を歩んでいた
そんなSさんが何故か私には親身になって接してくれ、悩み苦しんでいる時はじっくり耳を傾け適切なアドバイスをくれ、喜びは自分のことのように喜んでくれた
私が何とか頑張って消防の責任ある仕事を全うできたのは、Sさんとの出会いがあったからである
第6は「Kさんとの出会い」である
彼との出会いは昭和41年、私が夜間高校4年生で昼間アルバイト先の文具店で配達仕事をしていた時、大学受験を目指して予備校で勉強をしていた彼が同じ文具店にアルバイトで入社した時代に遡る。
同じ年齢ということもあり、仲良く仕事をさせてもらっていたが、同年9月、東京消防庁採用試験のため、試験会場に到着した私はそこでKさんとバッタリ出会ったのである。
お互い何も語り合った訳ではないが、偶然の出会いに驚き健闘をたたえ合ったが、私は当時就職のための勉強は殆どしておらず、ただ鹿児島を離れたい、花の都東京に出てみたいとの一心で合格したら儲けもの位の軽い気持ちであった。
それでも高度経済成長時代の恩恵を受け、何とか合格できたのはその後の私の人生を大きく変えた。
一方、彼はその成績が抜群に良かったのだろう。本来なら、翌年度の採用予定が前倒しで何と前年度の2月採用となり、一足先に東京消防庁の門をくぐったのである。
遅れて8月東京消防庁に採用になった私は、消防学校を卒業して12月目黒消防署に配置された。
その頃、彼は隣接の渋谷消防署で勤務しており、東京でも一緒に目黒や渋谷界隈で飲み、食べ、語り、青春を謳歌、交流を深めていた。
そして月日は流れ、家庭の事情で鹿児島に帰ることになった私は、昭和44年9月、鹿児島市消防局の採用試験を受けるべく試験会場に向かった。
そこで又、偶然にもKさんと出会ったのである。
今回もお互い何も語り合った訳でもなく、その偶然に驚いたものである。
何とか二人とも無事合格し、改めて昭和45年4月から鹿児島市消防局員として、長い消防人生がスタートした訳であるが、彼は元々頭脳明晰なうえ、努力を怠らず、若い頃から常に消防のリーダー役として消防全体を引っ張って来た
階級社会の消防の組織の中で、彼は普段の努力に加え、豊富な知識と卓越した能力を遺憾なく発揮し、順調に昇任の階段を駆け上がり、最終的には約500人を擁する鹿児島市の消防のトップ階級まで昇りつめた。
私も有能な彼の存在があるから、彼が消防の世界で若きリーダーとしてグングン消防の組織を引っ張り、一生懸命頑張っているから、
私は彼と縁深き者として、彼の重荷になりたくないという意識が心の片隅に働いていた。
別に優秀な彼と肩を並べようという気持ちはさらさらないが、同じ消防の世界で生きる者同志、彼が頑張っているから自分も頑張らなければならないという意味で彼の生き方に触発されてきた。
浅学菲才な私が、最終的に消防署長という大役を仰せつかり、有終の美を飾ることができたのは、彼の存在、影響力が大であり、彼には深い感謝の気持ちで一杯である。
以上のように私は市民の生命、身体、財産を火災その他の災害から守るという崇高な消防の目的を達成するため、私なりに全力を尽くしてきたつもりだが
自分一人の力では何もできない、いや私は易き方向に流れる性格である
楽な道が好きである
遊興が大好きである
そんな今にも逃げようとする私後ろ襟首をつかみ、一緒に頑張ろうという同志・同僚がいたから何とかその職責を果たすことが出来たかと思う
命あるものの定めとして一足先に黄泉の世界に旅立った「Sさん」「Kさん」の姿・形は見えず、声も聴こえないが私の胸の中ではいつまでも生き続けている