永年勤めた消防の仕事を定年退職後、社会福祉施設に5年間勤務し、その職場を任期満了で退職後は「毎日が日曜日」年金生活者となって、のんびり、ゆっくり、自由な時間を過ごしている
その分、家に入る時間が多くなり、妻には面倒をかけていることに心の中では申し訳なく思っているところである
そういう生活環境の中で、暇つぶし、ボケ防止のため主に時間を費やしているのが、午前中はトレーニング室での運動、午後は近くの公民館や高齢者センター図書室での読書である
今年の夏は異常な暑さで、避暑のためにもクーラーの効いた図書室での読書の時間は命の洗濯をさせてもらったと有難く思っているところである
何することなく一日中ボケーッとして家の中に入ると粗大ごみ扱いになりかねないので、なるだけ日中は外に入る時間を多くして、家の中に入る妻とは適当な距離感を保つようにしている
現役でバリバリ働いている時は、何も考えず本能の赴くまま暮らしていたが、年金生活者の身になると、それなりに気を遣うのである
そういう時にたまたま数ある図書本の中から無造作に選んだ本が久しぶりにワクワクした気分で一気に読み上げ、印象に残ったので紹介したい
沢木耕太郎著作の「春に散る」上・下巻である
物語の内容は上巻は、若い頃ボクシングで世界チャンピオンを目標に、小さいボクシングジムの四天王と言われ、将来を期待されていた男4人がそれぞれ夢破れてボクシング界から離れ、
1人は事件に巻き込まれ刑務所に入り、1人は事業に失敗し故郷に引きこもって周りの人たちとの付き合いを絶ち、1人は覚せい剤やギャンブルで身を持ち崩し、支えてくれた最愛の人を亡くし、
そしてアメリカへ渡って筆舌に尽くしがたい苦労の末、事業に成功し心臓発作の持病を抱え、40年振りに帰国した主人公の男
4人が残り少ない人生の年代になってシェアハウスで共同生活に至る熱い男の物語である
下巻は、才能ある若者に自分たちが実現できなかった世界チャンピオンへの夢を託し、4人がそれぞれの得意な戦法、テクニック、技術を指導し、
世界タイトルマッチ挑戦に至るまでの試合の経過が息詰まる筆致と迫力で展開される
そして最後の世界チャンピオン誕生への道のりは・・・・・
ボクシング独特の用語が多数出て来て、ボクシングに興味のない方には窮屈かも知れないが、その闘いの様子は映像となって浮き上がってくる
この本の中で私が一推しするのは上巻のボクシングジムの会長が4人の合宿生に向けて発した言葉である
その部分を引用すると
「この合宿所に規則を設けるつもりはありません。ただ挨拶だけはしっかりしてください」
そして続けて口をついてでてきたのが、まるで入学したばかりの小学生に対して言うような台詞だったことに驚かされた。
「おはよう、おやすみ。いただきます、ごちそうさま。行ってきます、ただいま。ありがとう、ごめんなさい。この八つの言葉が言えれば、集団生活は円滑にいきます。これだけは常に口にしてください」
確かに、実際の集団生活の中で、どんなことがあっても挨拶だけはすることになっていると、互いにわだかまりが生じていてもいつの間にか解消しているということが少なくなかった。
常に「おはよう」や「おやすみ」を言っている相手に、いつまでも腹を立てつづけていることはできないものなのだ。
とりわけ、会長の真田がうるさかったのは「ありがとう」と「ごめんなさい」についてだった。
「きちんと礼を言う、きちんと謝る」
それだけはまさに「口が酸っぱくなる」のではないかと思えるほど頻繁に言われたものだった。
佳菜子にも、「広岡さんはすぐありがとうというのですね」と笑われたが、合宿所でついたその習慣は、アメリカで暮らすようになった広岡に、どれだけ役に立ったかもしれないものだった。
この八つの言葉にビビッときた
これは社会生活を営むうえにも、家庭生活を円満に保つためにもあてはまる、基本中の基本の言葉である
そこで私も自分を振り返ってみた
「おはよう」や「おやすみ」は長年の習慣からお互い暗黙の了解で言葉に出さず目で合図
「いただきます」は言葉にこそ出さないが手を合わせ胸の中でつぶやいている
「いってきます」「ただいま」「ありがとう」は普通に言葉に出している
「ごめんなさい」はこの年齢になるとなかなか難しい、何かもめごとがあっても自分を正当化する理屈を考えている
この本をお勧めするのは、この八つの言葉があるからである
今更何を言うかと思うかも知れないが、人間関係をうまく保つためにも大切な言葉である
改めて我が身、言動を振り返り反省をした私である