春は桜、夏は花火、秋は紅葉、冬は雪、日本の四季を彩る風物詩、情景が大好きな私である。

 

 

今年も元気で春の到来を告げる桜の開花を見ることが出来た。

 

 

先日、老妻と一緒に千本桜で有名ないちき串木野市の観音が池公園の桜の花見に出かけた。

 

 

日本の国花である桜の花言葉は「精神の美」「純潔」「優美な女性」と言われている。

 

 

「精神の美」は桜が日本の国花という位置づけから、日本国そして日本人の品格を表すシンボルとして美しさを託した言葉、

 

 

「純潔」「優美な女性」はパッと咲いてパッと散ってゆく桜の美しさや儚さも由来らしい。

 

 

春のうららかな陽射しを浴び、真っ青な空の下、真っ白に近いうすピンク色の花びらが天を覆うように咲き誇る様を見ると、何故か胸がときめいてくる。

 

 

その絶景に肌が泡立つ思いがする。

 

 

そして何故か亡き父、母、姉、友の顔が思い浮かばれる。

 

 

桜の名所というと、青森県の弘前城を望む公園や東京都の千鳥ヶ淵、奈良県の吉野公園等が有名であるが、

 

 

ここ観音が池公園の桜も池の畔に植えられ。山全体を包むかのような1000本余のソメイヨシノの美しさも絶景である。

 

 

 
 

公園内を散策する。

 

 

右を見てタメ息、左を見てタメ息、上を見てタメ息である。

 

 

特に丘の上からの眺望は圧巻で淡いピンク色のジュータンを敷き詰めたような桜花爛漫の絶景は息を吞む美しさである。

 
 

 
 

桜の花の下では、沢山の花見客が弁当を広げて談笑している。

 

 
 
 

近くの広場では子供たちが無邪気に走り回っている。

 

 

 

 

若いカップルが敷布の上に腰かけ幸せそうな笑顔で話し込んでいる。

 

 

世界に目を向けると、紛争問題やいつ飛んでくるか分からないミサイルの脅威に怯える人達、暗闇の世界で息をひそめて暮らす人達、泣き叫ぶ子供達、

 

 

飢えに苦しむ人達、自然災害に苦しんでいる人達等が、沢山いる中で、この空間は別世界である。

 

 

平和である。

 

 

時間がゆっくり流れる。

 

 

今、外国人観光客が満開の桜の花見目的で来日している姿を連日テレビで拝見するが、やはり咲き誇る桜の美しさは日本の国花としての日本人だけの「美」感覚でなく

 

 

肌の色は違っても、本来なら同じ赤い血が流れる人間全体の持つ本能なんだろう。

 

 

昼飯は途中のスーパーで買った弁当であるが、安い弁当の味もキンキンに冷えた発泡酒の第3ビールののど越しの味も最高に美味である。

 

 

そして広げた弁当箱の上に風に煽られチラホラ舞い落ちる花びらが映画のワンシーンのような美しさを演出してくれる。

 

 

桜の花の枝を手に取り、顔を近づける。

 

 

その匂いをソーッと嗅ぐ

 

 

ジーっと目をつぶる

 

 

鈍感な私の鼻には何の匂いも感じられないが、春のそよ風が鼻腔をくすぶる。

 

 

今は亡きお世話になった一人ひとりの顔を思い浮かべる。

 

 

「有難う」「今年もこうして元気で桜の花を見ることが出来ました」

 

 

「自分だけゴメンね!」

 

 

誰に言うでもなく、自分の胸にささやく。

 

 

また来年も元気で満開の桜の花を見ることが出来るように願うことだった。