地球の歴史は約46億年、人類の歴史は諸説あるが、数十万年前から数百万年前に遡るといわれている。
そして、現代を生きる人間の寿命は80~90年、永い永い人類の歴史に比べると我々は僅か点の時代を生きている。
やがていつの日か我々が生きた証は歴史の中に消えてしまうだろう。
5億年くらいたつと、地球は太陽の熱のために海水が蒸発して生き物が住めなくなり、又、50億年後には太陽が大きく膨らんで地球を飲み込み、地球は消滅すると言われている。
近年、宇宙開発が進められているが、あと何百・何千・何万年後だろうか?人類が地球以外の星に移住できるようになるのは?
それとも
1 極端な気象変化
2 核戦争
3 世界規模のパンデミック
4 生態系の崩壊
5 巨大隕石の衝突
等々の現象により人類の滅亡が先か?
心配すればキリがないので、憂いは後世代の優秀な人材に生き延びる術を期待したい。
この世には、哺乳類や鳥、魚、虫類等々、色々な生物が存在している。
しかし、その中にあって、私は喜怒哀楽の感情を持つ人間として生まれたことを喜びたい。
人間としてこの世に生んでくれた両親や先祖に感謝したい。
昨年から今年にかけて、鳥インフルエンザの感染急拡大で、1000万羽以上の養鶏が殺処分を受けたが、これらのニュースを聞くと、どうせいつかは人間の口に入るため、殺処分される宿命にあるとは言え、元気な内にその命を強制的に絶たれる処分に哀れを感じるのは私だけだろうか?
私も70歳を数年過ぎ、いつ、異次元の世界からお迎えが来ても不思議ではない。(勿論、今のところ、その予定はない)
これまで生きてきた70数年を振り返ると恥多き人生だが、それでも私なりに、この世に生きた証として「一生懸命」生きてきたつもりである。
私自身、団塊の世代に貧乏人の子沢山、7人きょうだい(姉4人)の長男として生まれ、定時制高校を卒業後、縁あって消防の世界に職を得て、市民の生命、身体、財産を災害から守るため、そして、妻と3人の子供の家族を支えるため、私なりに微力というか、本音を言えば全身全霊を傾けてきたつもりである。
私の若い頃の座右の銘というか、生きる姿勢として今考えると青臭いが「努力」「根性」「忍耐」という言葉を永年大切にしてきた。
その思いを胸に「人に馬鹿にされたくない」「人になめられたくない」「負けたくない」と人生を突っ走って来た。
この間、多くの人達に温かく見守られ、育てられ、支えられ、叱咤激励され生きてきた。
勿論、綺麗ごとばかりでなく、若さゆえに同じ世代の恵まれた環境で育った者たちへのひがみや妬みもあった。
時には眠れぬほどの悩みや苦しみ、怒り、悲しみもあった。
しかし、それらは生きる過程のほんの一部のごく一部であり、それ以上に喜びや楽しみ、ワクワクがあった。
今では老妻と2人、年金生活に入り、これまでの嫌な記憶は全部忘れた。
子供や孫の成長、心友や消防で切磋琢磨して来た同僚、飲み友達との付き合い、旅の想い出等々、いい思い出、楽しかった思い出ばかりが懐かしく思い出される。
孫1歳4ヶ月、アンヨが上手
最近では「余裕」「ゆとり」が尊ばれ、「一生懸命」「頑張る」という言葉はいい意味としては使われない感じを受けるが、私はこの世に生きている限りは大切にしたい言葉と信じている。
人生の終末期も近くなったジーさんのつぶやく独り言である。