東京消防庁退職

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東京消防庁を退職するにあたり、ひとつ困った問題があった。というのは、事前に鹿児島市消防本部の採用試験を受験することは、直接の上司に相談していたのだが、それが人事担当者やさらに上級の上司には伝わっていなかった。

 

鹿児島の消防本部からは、東京消防庁の履歴証明書が必要といってきており、黙って辞める訳にはいかない。

 

そこで改めて鹿児島市の消防の採用試験に合格した旨を話し、履歴証明が欲しいと総務関係の上司に相談したが、その際、一緒に付き添った直接の上司から

「今まで何の相談もなかった。もう少し早く相談してくれたらよかったのに」

という言葉に愕然とした。

 

この直接の上司には、最初から何もかもすべて事情を説明し相談をしていたのである。

わが身を守るためとはいえ、悔しかった。悲しかった。

 

東京では、横山建材店の社長夫婦を始め、同僚、先輩、上司など素晴らしい人々に囲まれて沢山の良い思い出が残っていたが、最後になって初めて裏切られた思いである。

 

退職手続きにあたり、人事の担当者からは、鹿児島の消防本部に入ることを隠していたかのように思われ、嫌味みたいな言葉を投げかけられたが、当時の次長からは

「県は違ってもお互い同じ消防同士、頑張れ」

という温かい励ましの言葉をかけていただき救われた思いがした。

 

そして、3月27日付けで東京消防庁を退職、辞令を永田町の東京消防庁本庁でもらい、その日に特急列車で帰郷の途へ向かった。

 

東京駅には、目黒消防署での同僚が数名見送ってくれた。

「有難う東京、さようなら東京」

発車のベルが鳴り、見送ってくれた同僚や過ぎ去っていく東京の街並みに心から感謝するとともに、鹿児島でのあらたな生活に胸を膨らませ、感慨無量の帰郷の途であった。

 

途中、大阪万国博覧会見学のため大阪で下車、ミサ子姉や、高校時代の心友荒木忍と会い旧交を温めた。

私の東京での生活は3年丁度。楽しい思い出を胸一杯に詰め、行くときも帰るときも大阪経由で始まり、そして終わったのである。