3月6日 暖流桜
健康と体力維持のため、筋トレやエアロバイク、ランニングマシン等の運動で、週4~5回汗を流している「ふれあいスポーツランド」で暖流桜が満開の時期を迎えた
暖流桜とは、種子島の県農業試験場で開発された鹿児島だけに咲いている品種の早咲き桜で、
咲き始めは白っぽく、散る間際にピンクの色が濃ゆくなる変化も楽しめる花びらである
太平洋を北上する黒潮のように咲き広がって欲しいと名付けられたという
この日は「暖流桜」を歌う歌手川中美幸さんもスポーツランドを訪れ、満開の桜が時折風に吹かれ、花びらが舞うのを見て笑顔でインタビューに応える姿も拝見した
3月8日 消防OB会
令和8年度消防OB会定期総会が市内の某ホテルで開かれ参加した
現会員134名中28名が出席
総会は型通りの事業報告や収支決算、来年度事業計画等々審議された後、お待ちかね懇親会である
昔、知恵を絞り、汗を流して苦楽を共にした仲間・同志が円テーブルに5~6名ずつに分かれて着席し、
近況や今回欠席した同僚の消息、若くして亡くなった同僚の話題等々、思い出話で盛り上がる
「会いたかった~」と手を握る
「元気だった~?」と目と目が見つめ合う
「今、何してるの?」とお互い声を掛け合う
ビールがうまい、焼酎がうまい、料理がうまい
健康でこのような場に参加できることに感謝である
3月8日 4姉妹
上記消防OB会の懇親会で元同僚と美味しい酒を酌み交わしている最中に神奈川に住む姉の二男(甥)から1本の電話がスマホに入った
3月という月は私の人生にとって不思議な巡りあわせ・因縁がある
・3月3日 亡き母の誕生日
・3月27日 亡き父の誕生日
3月生まれの両親のもと、7人きょうだいの長男として生まれた私には4人の姉がいた
すなわち5人目に生まれた初の男子で、両親や姉たちに甘やかされ、可愛がられて育ったとは姉たちの口癖であった
まだ戦後の混乱期の時代である
貧乏人の子沢山家庭に生まれた姉たちは、中学校を卒業すると就職し、「金の卵」と呼ばれ県外の紡績工場や市内の女中奉公をして働いた
そして乏しい給金の中からそれぞれが両親へ仕送りをしていた
まだうら若き乙女の時代から華やかな青春時代、化粧品や洋服、装飾品等、自分の身を飾る欲しい商品もあっただろう
こうした姉たちの献身的な仕送りで肉体労働者の父、病弱な母、私、妹、弟は育っていった
決して豊かでなかったが、貧しいながらも不自由なく過ごすことが出来た
その姉たちも年頃になると、それぞれが運命の人と出会い、結ばれ、子供に恵まれ、幸せな家庭を築いていった
一生懸命頑張って生きている人には、神様・仏様はちゃんと見守ってくれているのである
応援してくれているのである
その姉たちが何と4人とも3月の月に引き寄せられたかのように黄泉時の世界に旅立った
・長女 3月30日 享年84歳
・二女 3月12日 享年79歳
・三女 3月12日 享年82歳
そして何とここに、神奈川に住む4人姉妹の最後の姉が3人の姉の後を追うように、今年3月8日享年81歳で永遠の目を閉じた
何ということだろう
姉たちの霊が呼んだのだろうか?
私の家には親から引き継いだ仏壇があり、毎朝・毎晩、両手を合わせて1日の始まりと終わりのあいさつを交わしている
基本的にはどこの宗教・宗派にも属していない「困った時の神頼み派」であるが
いつも自分や家族を見守ってくれているという「精神的な支柱」として、心を穏やかにしてくれるのである
今の自分や家族があるのは、守護霊として先祖や両親の霊が見守ってくれていると思っている
8日に亡くなった四女の姉は私と3歳違いで、年齢が近いだけに小さい頃はよく喧嘩をした思い出もある
時には取っ組み合いの喧嘩になり、母からこっぴどく怒られ家を追い出されたこともうっすら記憶にある
大人になってからはお互い遠く離れた地に住み、会うことも少なくなったが、それでも時には身内の結婚式や法事などで顔を合わせ、思い出話で盛り上がったものである
晩年は足が少し弱り杖を突いていたが、長男の甥と二人暮らしで、亡くなる前日まで元気で暮らし、朝方寝室で冷たくなっていたという
人間としてこの世に生を受けた命なら必ず行きつく先、人生のゴール地点であるが、今頃姉の霊は
天国にいた両親や3人の姉たちの霊に迎えられ、在りし日の思い出話など談笑しているだろうか?
そうあって欲しい
3月12日 命日1
私の姉たちの中でも二女と三女は特に仲が良く、一緒に旅行を楽しんだりしていたが、二女が2020年、三女が2024年の同じ日、3月12日に永遠の目を閉じた
生前、自分が亡くなったら桜島が見える海に散骨・散灰して欲しいと二人とも希望しており、
その願いに応え、娘たちが鹿児島に来てそれぞれ桜島を望む海の同じ場所に散骨・散灰したところである
私はこの日は墓参りの代わりとして姉たちの霊が眠るマリンポートへ行き、花を手向けることを習慣としている
今年も良く晴れた日、風は少し冷たいが波も穏やかで桜島がどっしりと構えた錦江湾の海に、
海洋汚染とならないよう自分の家の庭に咲いていた気持ちだけの花を摘んで海に手向け、両手を合わせ姉たちの霊を慰めた
姉たちの霊が花園に囲まれた世界で包まれていますように!
3月15日 命日2
最後に3月15日は亡き父の命日でもある
昨年身内が集まり、50回忌の俗にいう「弔いあげ」の法要を行った
天国にいる敬愛する父!
3月に生まれ、3月に逝った父!
1歳の時に実父を亡くし継父のもと育てられ、尋常小学校4年を修業し家事手伝い等で苦労に苦労を重ねてきた父!
戦争に3回召集され、鉄砲の弾の下をくぐり生死の瀬戸際を歩いてきた父!
「産めよ増やせよ」の時代、母と結婚し8人の子供(1人は1歳で逝去)を力仕事をしながら育ててきた父!
下戸で無趣味でささやかな楽しみはテレビの時代劇か、たまのパチンコだった父!
私が社会人になって、初めて東京に招待したとき、皇居見物で何を思うか黙していた父!
私が消防の昇任試験を受けて初めて合格した時「兵隊の位で言うと2等兵から1等兵に上がったようなもの」と
説明すると大喜びで早速ビール1ダースをお祝いで贈ってくれた父!
父から受け継いだこの命
この命が次の世代に繋がれた命のバトン
私はもう少し現世で子供や孫たちの成長を楽しみたい
旅行、呑み会、カラオケ、ご馳走も楽しみたい
雑念がいっぱいある
まだまだ現世に未練があります
そちらの世界には遅くなる見込みです
それまでしばらくお待ちください




