推しは神のごとき存在? | アムネのブログ(中島早貴推し)

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2012年、℃-uteの日イベントに行き、その感動を残しておくためにブログを始めました
℃-uteは解散してしまいましたが、永遠のteam℃-uteでなっきぃ推し

皆さんにとって、推しは「神」のごとき存在ですか?

 

すでに、「神推し」という言葉が存在しているように

推しを神のように崇拝している人は普通にいるのでしょうね

 

 

僕自身は、自分の推しを神と見なすのには、若干の抵抗があります

そう言えば、「神推し」という表現もあまり使ったことがないかも

 

なんでしょうねえ

 

僕はなっきぃを完全無欠の存在とは思わないし

リスペクトはしてるけど、あくまでも「人」としてで

 

なっきぃの全てが、僕の理想通りではある訳ではないし

こっちの理想を押し付けたくもない

 

かと言って、なっきぃを客観的に見ることなんて全く出来ないですけどね笑

 

とにかく、「神」ではない

 

僕は、そもそも、「神」を求めてない人なんですよ

だから、推しにも「神」であっては欲しくない

 

もちろん、「神推し」を使っている人がみんな、推しを「神」と見なしている訳ではなく

単なる強調表現として使っているかたも多いとは思います

 

でも、推しを「神」と言い切ってしまうことは、僕には抵抗がありますし

危うさも感じてしまいます

 

 

「神でなければ、じゃあなんだ?と」考えたら

 

やっぱ「推し」としか言いようがなく

 

人それぞれで「推し」の概念も異なるとは思いますが

僕にとって、「推し」が尊い存在で生き甲斐でもあるのは確かですねえ

 

会いに行きたいけど、会えなくても良いんです

 

矛盾してるけど、なっきぃに関しては

もう、心の中に住んでるから、いつでも会えるっちゃあ会えるニコニコ

 

 

 

 

 

推しに自慢のファンだと思ってもらえたら本望だよねえ

信者ではいたくない