以前、進撃の庶民に投稿した拙コラムを転載したものである。
脱市場、脱成長が齎す文化的退廃 その裏にある市場の本当の恐怖に関連した話として、イノベーションにおける成長と分配について考えておこうと思う。こんなことは本職の人がやっているだろうし、その先行研究をきちんと参照すべきだろうが、最近そんなにまとまった時間が取れないので、とりあえず先見として行っておく。
ラッダイト運動に知られるように、機械化は一時的に労働者雇用を減らすように働き、それに反発するような働きをした。しかし現在周りを見回してみれば、機械化なしではあり得なかった事業及び雇用の創出を多数目にすることが出来る。一例として、(自動車産業の発展を含む)交通網の発展は、小売活性化や観光業を明らかに刺激した。
先に挙げた記事で例示した「農家と演奏家」の話は、その2職業で完結してしまうが、工業は、明らかに人々の生産活動(しかも、衣(医)食住に留まらない)の幅を広げることに成功した。
これは工業化を先んじて達成した国が、そうでない国に明らかな所得差を付けたことからも明らかと思う。
この場合に重要なのは、工業化で差がついたとき、必ずしも工業生産だけに注目しても仕方がないということである。
工業化によって農業生産効率が改善する例が分かりやすいが、それ以上に、第三次産業も効率、及び事業創出、雇用創出の面で刺激を受けている。
だから、たとえ先進国で第三次産業所得が大多数だからといって、工業化の遅れている途上国がそれを模倣することはできない。先進国においては、工業以外の分野ですら、工業それ自体による刺激を受けて成長したからである。そして工業以外のそういった成長は、雇用も吸収することができた。
工業化による効率化と、工業化による事業創出が齎す雇用創出=分配創出が相乗的に働くことで、穏便な成長を達成し得た。
裏を返せば、このどちらを欠いても、成長は達成できない。農家と演奏家の例えでいけば、農家が演奏を嫌って且つ演奏家を農作業から解雇したら、演奏家は飢え死ぬしかない。
この場合、演奏家が生きてさえいれば発生した農産物需要がなくなっていることに注目して欲しい。その結果として、農業効率化が、成長を齎さないどころか、人口減少を齎す圧力と化してしまっている。
効率化の果実を成長として得るためには、分配が機能しなければならないことがこれで明らかになる。
工業化においては、(新しい事業の開拓による)分配がまずまず機能したことが伺える。
これからの技術進歩においてはどうだろうか。情報技術進歩は、多くのコンテンツの無料交信を可能にし、音楽産業などに少なくない打撃を与える一方で、課金ゲーなどのフロンティアも提供しているかもしれない。
しかし、もし何かしらの形での雇用=分配創出に失敗してしまうようなら、どんな技術進歩も成長として消化することが出来ないだろう。何なら、雇用における悪影響を防ぐため、労働者が経済合理的に技術進歩の利用に抵抗するかもしれない。
ラッダイト運動のような明示的な形を取らずとも、技術進歩を利用した職場効率化に非協力な傾向を示す、というような「小さなラッダイト運動」は十分にあり得そうなことだ。
こうした傾向を取り除くには、何らかの形での雇用保障、あるいは再分配の強化が有効になるのかもしれない。
今明らかに市場縮小あるいは市場破壊、雇用削減として機能しているような技術進歩も、それに対する人類の適応に従い、少しずつではあっても新市場や新雇用を提供するようになるかもしれない。再分配は、それを阻害してしまうだろうか?
私は、過剰な再分配でない限りはむしろ刺激すると考えている。
もし再分配が弱ければ、それこそ以前例示した演奏家のように、飢え死ぬだけに終わるのではないだろうか。
再分配による人口の維持が、新産業への人手の供給源になる。
さらに再分配は、(一時的には雇用が減るような)効率化を社会的に消化しやすくなるような円滑化作用も持ちえるだろう。
WW2以降、政府の相対的経済規模が拡大し、また福祉が整備される中で、多くの国が未曾有の経済成長を経験したのは、偶然ではないと思う。少なくとも、ある程度の福祉については、成長抑制的とは言えない。このことは先進国各国からある程度推察できることである。むしろ成長刺激であるかもしれない。
この議論は、私が好んで引用するこのコラム『イノベーションの本当の源は高賃金』とも関係するかもしれない。イノベーションを刺激するのは、単なる技術水準やその変化よりも、それを生産効率化として消化したがるような社会的な圧力や構造の方だ。ありていにいえば「高賃金」である。
日本の政策的課題として、イノベーション(の不足)が挙げられるとき、それが日本の技術的遅れや、社会制度構造の遅れにアバウトに基礎づけられて議論されることに、私は強い違和感を覚えている。
それ以前に、イノベーションを成長によって消化したくなるような誘因を欠いているのではないか。
もし日本が、成長を可能にする技術的可能性を持っているにも関わらず、それを腐らせてしまっているのだとしたら、その問題の根は、(再)分配の致命的欠如にあるのではないだろうか。その場合、人口減少圧力が強まるのは必然的とも思える。(もちろん、人口減少圧力は他にも多く要因はあるだろうが)
思ったより長々しかったのでまとめると、「人を節約するような技術革新は、それによって節約される人の生活が再分配で保障されていた方が進むのではないか。 そうして生まれた人材余剰が、新産業創出を刺激するのではないか。 そう考えると、再分配はむしろ成長刺激的ではないか。」という話である。
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