”自由化されすぎた通貨供給”を国家化すべき理由 ―外部経済性を持つ財としての通貨 | 批判的頭脳

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財政学の政府債務破綻論をはじめとして、ほとんどの経済学理論は、通貨供給が完全に政策的なものだと想定している。
代表的なマクロモデルでも、Mは操作変数として扱われている。
でも、実際には異なる。マネーサプライは信用創造で供給され、その水準はベースマネーから乖離するケースがあるからだ。

信用創造の主な主体は、民間である。したがって、通貨を供給している主体は、政府よりも民間であると言える。
昔ハイエクが通貨発行自由化を唱えたが、彼が望んだ発行自由化はすでに現実のものだったわけだ。銀行を介した信用創造は、民間が必要な分だけ通貨を発行し調達しているのと同値だ。

しかし、ここで問題なのは、通貨発行者(寿命が比較的短い民間主体)と通貨の流動性付与条件(寿命が比較的長い政府による統治と納税)に乖離があるせいで、通貨発行者は債務の寿命内における完済を行う必要があるという点である。
このため、民間が信用創造を行う場合、その通貨発行は完済できる債務の分だけに制約されることになる。

しかし、通貨発行に外部経済性があると想定すると(つまり、総需要拡大が生産拡大ももたらすと考えると)、この制約の中においては通貨は過少供給になってしまう。(予想収入より大きく借入して支出すれば、それによって増える生産収入でその借入をファイナンスできるが、現在生産より過大な借入は会計上難しいだろう。 そうした借入支出も受け入れるのが「アニマル・スピリッツ」なのかもしれないが。)
不況において流動性制約が深まった時こそ、通貨発行の過少供給傾向は強まる。
こうした場合、通貨供給に政府が関与することが重要になる。(公共財とほぼ同じ議論)

金利を介して通貨供給を制御するのがその従来的な方法だが、ゼロ下限という機能的な問題と、民間信用の不安定性(バブルだけでなく、通常の景気循環も含む)という問題の二つが生じる。
これに対する解決策としては、通貨発行を本当の意味で政策的なものにする、という方法がある。

つまり、政府の借入支出・債務残高GDP比をこれまでよりも圧倒的に大きいものにして、民間信用よりも圧倒的に大きい政府信用が通貨を供給する経済体にするのが、長期的にも良い可能性がある。そうすることで信用規模を安定的に増加させ、その通貨の外部性により生産を拡大できるからだ。

WW2以降世界経済が(それ以前より)比較的安定的になった理由として、政府が大きくなったことが挙げられることがあるが、その経路はここにあるかもしれない。通貨発行の政府信用率が上がれば上がるほど、総需要安定性により生産投資が安定化する。これが経済厚生の改善に資するのではないか。

以上が、ケインズが志向した「投資の社会化」の、現実的な形態なのではないかとも思われる。

もちろん、通貨供給が市場的であったときよりも、資源配分は政府に恣意的なものになる危険性はある。だから、それによる経済非効率性コストと、信用供給不安によって生じる経済停滞コストのどちらがより深刻で回避すべきものなのか、を比較検討するべきであると言えるだろう。

昨今の金融不安定化を観察する限り、信用不安のコストの方がより重大かつ危険であると考えるべき根拠は揃いつつあると私は考えている。









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