クルーグマンの流動性の罠理論を今更解説 その① | 批判的頭脳

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It’s Baaack!論文が公開されてから実に17年が経とうとしている。

その間、この論文(だけではないが)から端を発して、さまざまなマクロ経済論議が巻き起こってきたが、そもそもとしてこの論文の要旨がちゃんと理解されているのか少し不安になったので、老婆心ながら(ものすごく)簡単に解説しておこうと思う。


この論文のやったことはいくつかあるが、まずは流動性の罠を、ミクロ的基礎付けありのモデルで証明したということにあるだろう。
もし単に旧来のIS-LMの焼き直しをしただけなら、これほど影響力を持つ論文にはならなかったはずだ。クルーグマンの功績は、現在と将来の選択をごまかさないモデルで流動性の罠が発生することを確認したことにある。

論文には、いくつか数式が出てきているが、これは同業者にわかりやすくかつ説得的に書くためのもので、その意味はそんなに難しくない。消費のオイラー方程式だけを理解すればいい。

消費のオイラー方程式とは、現在と将来の消費の選択を決定する方程式である。
現在の消費を1単位我慢して貯蓄=投資をした場合、将来は節約によって得た金利iを含めた1+iの消費ができる。
一方で、通常は現在の1単位消費の方が将来の1単位消費よりも価値が高いと人々は判断するだろう。よっぽど変な人でない限り、来年のステーキより今年のトンカツの方が満足度は高い。その代替の程度を時間割引率Dによって除する。

よって消費のオイラー方程式は、金利が現在と将来の消費のバランスを決めることを示すことになる。もし金利収益と時間割引率に照らし合わせて、今の消費を1単位減らして失う効用よりも将来の消費を1単位増やして得られる効用が大きければ、現在の消費を減らして将来の消費を増やすだろう。これにより、現在の消費の限界効用(消費を1単位増やして得られる効用)と将来の消費の限界効用(の現在割引価値)が一致するまで、消費は調整されることになる。

(ただし、この方程式は流動性制約を考慮していないので注意しておこう。流動性制約とは要は借入制約のことである。暗黙の了解として、この方程式の根拠である恒常所得仮説は、人々は自分の全期間の所得をある程度正確に把握しており、それに基づいたローンを組める。しかし実際には、銀行の信用審査が厳しかったり、人々が恒常所得よりも現在所得に依存した支出計画を立てるリスク回避的な性質を持っていたりして、必ずしも恒常所得から達成される十分な消費を行うとは限らない。この場合、政府が財政政策などで流動性すなわち現金を供給することで、経済厚生が改善する)



通常、消費の限界効用は逓減すると考えられる。消費量が少ないときの方が、消費追加の効用が高く、消費量が多くなると、消費追加の効用が低くなる。

現在消費をc、将来消費をc*、時間割引率をD(<1)として、論文で仮定している効用関数では、便宜的に現在消費の1単位追加時の効用が1/c^ρ、将来消費の1単位追加時の効用がD/c*^ρということにしている。(^ρはρ乗の意味。ρは相対的リスク回避性。貯蓄=投資リスクに対応)

先ほども説明した通り、節約した現在消費の限界効用と、節約によって得た金利収入を含めた将来消費限界効用の現在割引価値は等しくなる。

ここで、現在の物価と将来の物価をP、P*と設定する。
したがってこの経済では実質で見て1/Pの現在消費を我慢すれば、1+i/P*の将来消費ができるということになる。これにより、消費1単位を、1/物価と設定する。

以上から

(1/P)×(1/c^ρ)=(1+i/P*)×(D/c*^ρ)

消費量はその時点の所得(すなわち産出水準)に制約されている。
すなわち、現在所得をy、将来所得をy*とすれば、投資を捨象するとc=y、c*=y*となるので、先ほどの式は、1/y^ρ、D/y*^ρと書き直すことが出来る。

ここで消費を所得に書き換えると

(1/P)×(1/y^ρ)=(1+i/P*)×(D/y*^ρ) (消費のオイラー方程式)


現在物価Pが一方的に増えた場合、現在消費1単位(1/P)の減少により、現在消費限界効用が下がる。したがって、相対的に将来消費限界効用が上がる。(将来物価が相対的に見て下がり、今の現在消費と将来消費のバランスを見直して、将来消費に回す分を増やした方がよくなる
このため、現在消費が減らされて貯蓄=投資され、将来消費が追加される。すると、貯蓄に回されるお金が増えるので、金利iが下がる。左辺で1/Pが減った分、右辺で1+iが小さくなることで、この方程式が成立する。

将来物価P*が一方的に増えた場合は逆のことが起こり、金利iは上昇する。

以上より縦に金利、横に現在物価を取ったオイラー方程式のグラフは、右下がりの曲線になるだろう。

加えて、貨幣を導入する。便宜的に貨幣量が現在物価を決めるとすると(この法則はモデル内で崩壊するのだが、後述する)、貨幣曲線は上記のグラフの中で縦線で書くことが出来る。

こうして、以下のようなグラフが得られる。



(論文から引用)

(物価が上がると金利が下がるという関係を気持ち悪く感じるかもしれないが、ここで物価は、その時点の物価であり、物価上昇率ではないことに注意)



貨幣が多いほど、金利は低く、物価は高くなることがわかる。しかし、名目金利には非負制約がある。金利とは、現金を手放すことに対する報酬である。したがって、マイナス金利すなわち現金を手放して収益がマイナスになるような金利は設定することができない。よって、上のグラフでは、2までの均衡点までは到達できても3にはならない。3に向けて金融拡大をしたとしても、その貨幣は退蔵されるだけで貯蓄=投資を増やさない、というわけである。


現在消費と将来消費の限界効用が等しくなる金利がマイナスになるというのは、どういう状態のことだろうか?

このことを考える前に、この経済では実質金利がどう決まるかを見ておこう。
消費のオイラー方程式を、左辺が1+iになるように変形すると以下のようになる。

1+i=P*/P×1/D×(y*/y)^ρ

P*/Pは価格上昇を示す。インフレ率をπとすれば、1+πと表せる。つまり

1+i=(1+π)×1/D×(y*/y)^ρ

これより、名目金利iは、インフレ率πで上下するとわかる。裏を返せば、名目金利の影響からインフレ率を除したものとして存在する実質金利rは便宜的にはr=i-πで設定されるが、数学的に厳密にいえば

1+r=(1+i)/(1+π)

なので、先ほどの式は

1+r=1/D×(y*/y)^ρ

となる。つまり、消費のオイラー方程式を満たす均衡実質金利は金融変数とは独立に決まり、なおかつy*/yすなわち経済成長率と比例関係(厳密には違うが)を持つ変数であることがわかる。

価格が完全に伸縮的な経済(長期想定)の場合、金融変化は完全に無視されるから、この均衡実質金利は必ずいつでも成り立つことになる。

では、現在消費と将来消費の限界効用が等しくなる金利がマイナスのときは、この価格伸縮経済はどういうふるまいをするのだろう?

当然、名目金利はゼロ以下にはならない。だから、マイナス金利を達成するためには、代わりにインフレ率が上昇する必要がある。ここで、将来の物価は外生的にP*と決まっているので、P*より低い水準まで現在物価が下落する必要がある。すなわち、現在の一時点でデフレーションが起き、将来物価P*より十分低いところまで物価が下落することになる。

価格が伸縮的な経済では、非常に奇妙なことに、将来に向けてインフレを起こすために、現在でデフレが起こるという構図を見て取ることが出来る。

では、価格が硬直的な経済(短期経済)ではどうなるだろうか? ここでは、価格伸縮経済のような急激なデフレを起こすことができないので、将来物価P*に対して十分価格が下落することが出来ない。したがって、経済は均衡実質金利よりかなり高い金利を保つことになり、不完全雇用均衡が生じる。こうして、異時点間最適化のあるモデルでも、流動性の罠を導くことができるのである。

(これに対し、価格をより伸縮的にすることで対応しようとする努力には限界があることに注意しよう。潜在生産性が悪化したわけでもないのに名目給与を引き下げることに既存労働者を同意させることは困難を伴うし、その抵抗を払拭するために、リストラを促進するのでは本末転倒だ。また、現実の債務契約は名目契約なので、価格伸縮性亢進による短期的な物価の下落は、フィッシャーの債務デフレ効果を通じて短期の総需要を減退させてしまうことを、クルーグマンが後の論文で指摘している)


その②に続く


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