氷川丸。
名前の由来は、さいたま市にある「氷川神社」の神霊を祀っているからです。
今は山下公園に歴史を伝えていますが、杉原千畝さんと所縁のある船でもあります。
杉原千畝さんは、リトアニアのカウナス領事館で、ユダヤの人々に2139枚のビザを発給しました。
そのビザでシベリアを渡ってウラジオストクに着き、JTBが手配して敦賀に上陸。
神戸と横浜から、アメリカやオーストラリアなどに出航しました。
神戸からユダヤの人々を送った船の一隻が、「鎌倉丸」。
名前の由来は、鎌倉宮を神霊として祀っているからです。
杉原千畝さんは、最晩年を鎌倉で過ごされています。
鎌倉霊園に眠っていますが、葬儀は神道で行われています。
その葬儀を執り行ったのが、鎌倉宮。
長岡宮司は、杉原千畝さんの葬儀で奉仕されたそうです。
不思議な縁です。
氷川丸は、戦前シアトル航路に就航していましたが、1941年10月に定期航路を終えています。
戦中は病院船として運行され、戦後シアトル航路に復帰しています。
杉原千畝さんはの発給したビザで、ユダヤの人々が氷川丸でアメリカに行っています。
戦後、杉原千畝さんが住まわれた藤沢。
そして、鎌倉から横浜。
何かできないか、考えていきます。