記録上、最大の津波が襲った石垣島。

その日を忘れない、として4月24日を「石垣市民防災の日を定める条例」が、昨年石垣市議会で可決しました。

今年は2回目、初めて津波想定訓練も行われました。

石垣市で防災に取り組んできた知人である黒島さんから、寄稿文をいただきました。

やはり、歴史はしっかりと語り継がなくてはならない、と強く思います。

 

防災は市民が主役忘れてはならない歴史の教訓

~石垣市民防災の日に思う~

                           黒島 健

 明和の大津波が発生した一七七一年四月二十四日を「石垣市民防災の日」とし、大津波を歴史的教訓として防災意識の高揚や防災対策の充実強化を図ろうという内容で、議員提案による「石垣市民防災の日を定める条例」が、三月市議会閉会中の継続審議を経て議会臨時会で全会一致で可決成立した。
 本市の防災問題については、現状や今後の取り組みについて、これまでも積極的な提案や議論がなされてきた中、この度、市議会における同条例については、
提案者の池城 孝議員はもとより、国内観測史上最大のM九・○という東日本大震災という私たちの想像をはるかに超える震災のもたらした甚大な大災害にすべての市民が大きな関心を寄せ、明和の大津波慰霊祭が行われる四月二十四日までの早期な制定を強く望んでいただけに、条例の成立をみたことに、その趣旨に賛同の声を上げたい。県内初の独自の「市民防災の日」の制定を、かつ、今回の条例の成立が議員提案によるものであり、そのことをまた高く評価をしたい。

なお、議案等の議員提案については、地方分権の動きを背景とした議会改革の一つとして、地方分権一括法が施行されたことによるものだが、 住民が首長と議員を選ぶ「地方自治は首長と議会の二元代表制」では、議会にも条例を提案する権限があり、それぞれが緊張関係を保ちながら市政を市民生活をリードしてもらいたいと思う。しかし、全国自治体議会アンケートによると、議員提案で政策的な条例を可決した議会は、依然として少ない中、石垣市議会における議員提案は、今後の議会のあり方への新しい動きとなることを期待したい。

さて、同条例の議員提案に至った理由として提案者の池城議員は、「一七七一年(明和八年)四月二四日に発生した「明和の大津波」により、石垣市は未曾有の被害をもたらした。 その経験に基づき蓄積してきた知識を風化させることなく後代の市民に継承し、市民一人ひとりが災害に対する備えを充実強化し、安全で安心なまちづくりを推進するため、津波の発生した日を『石垣市民防災の日』として設けようとするもの」、とし、防災の日から一週間を「市民防災週間」とし、市民の防災意識の高揚を図る努力を、また、災害に備えるための手段を講じる努力などを求めている。

制定をみた条例に『防災週間』を設けることについては、広く市民が、台風、豪雨、洪水、高潮、地震、津波等の災害についての認識を深めるとともに、また、次世代を担う子供達に対し、学校や地域を中心とした防災教育を実施することにより、子供達自身のみならず、それに取り組む先生、親、住民など関係者の生きる力を育むことにつながり、その結果、地域全体の防災力の向上に大きく貢献することが期待される。

 また、条例は、市民の防災意識の高揚、地域等が取り組む防災対策、地域の安全確認や防災知識の習得に努めることなど、条例の趣旨にふさわしい防災活動が実施されるように、と定めている。条例の規定にかかわらず、「自らの身の安全は自分で守る。自分たちの地域の安全は自分たちで守る。」を合言葉として、お互いはその自覚を持ち、市民の責務を自覚しなければと思う。

私たちは、決して過去の災害や地震の歴史を風化させることなく、むしろ防災意識の高揚に努めるべく自助・共助・公助の連携を密にするため それぞれの立場から確認し合うため、石垣市独自の『防災の日』を定めることの意義の大きさを思う。

災害は、いつ私たちの生活に襲いかかるかわからないだけに平穏な市民生活のみならず、長い歴史の中で受け継がれてきた石垣のまちや文化財等が、常にその脅威にさらされているといっても決して過言ではない。

これまでいくたびも我が国を襲った震災、風水害等の自然災害や大規模事故は、多くのかけがえのない生命と平穏な暮らしを奪い、私たちに災害の恐ろしさと防災の重要性を警鐘している。

歴史が示す事実として、明和の大津波で人口が半数になるほど被害を受けた本市、一方では市民の防災意識は低下し大津波の記憶も風化しつつあるようにも思える。津波警報が出されたときに車で津波見物をしようと海岸近くに出るなど、依然として警鐘は届いていない。

東日本大震災により予期せぬ津波警報が出たこの石垣島で津波見物をする野次馬が多数いたことを残念に思った。FM局「いしがきサンサンラジオ」では再三にわたって、石垣港周辺に集まった津波見物の野次馬に対する避難勧告をしていたのだ。ラジオによると、夕方から野次馬が石垣港周辺にぞくぞくと集まり、消防や警察が出動して強く避難を勧告しても応じない者が多数いたとか。「明和の大津波」という歴史的な大津波が押し寄せ多数の島民が亡くなった。しかし、そんな出来事は過去のものと忘れ去られてしまっているのではないだろうか。
 逃げる間もなく津波に飲まれて亡くなる人がいる一方で、津波見物に押し寄せる住民がいる石垣島。今回も名誉挽回ならずだ。災害の教訓というものをもっとよく噛みしめるべきだ。
 私たちは、いつでも被災者になり得る。 私たちの力で、自然災害を根絶することはできないが、その災害によって生ずる被害を減らすことはできる。私たちは、自然とともに生き、自分や家族、地域、そして石垣のまちを私たち自身で守っていかなければならない。

 自分で自分や家族を守るという「自助」、市民や事業者が助け合って地域を守るという「共助」、行政が市民や事業者の活動を支援し、それらの者の安全を確保するという「公助」の理念を念頭に置き、市民、事業者及び市が協働して、安全で安心して暮らせる災害に強いまちづくりを進めていくことが必要だ。

 それは、一朝一夕にできるものではない。しかし、先人がこれまで進めてきたように、地道なまちづくり、人づくりを続けていけば、私たちのまちが災害に強いまちになるものと信じている。

 未曽有の大惨事となった東日本大震災。被災地への支援はもちろん、なれど、石垣に暮らす私たちは、過去の歴史がもたらした事実「明和の大津波」というあまりにも大きな犠牲の上に学びつつある教訓を胸に刻み込まねばと思う。

 とりわけ、大地震発生後、県内はもとより全国のほとんどのマスメディアが取り上げた「特集・過去の震災」等においては、石垣島の「明和の大津波」が、決まって報道されていることに今さらながら、同震災のもたらした甚大な大災害を思う。

地震・津波・台風等のもたらす災害は私たちに大きな教訓をもたらし、今なお語り継がれる「明和の大津波」に代表される私たちの先達は、これらの自然災害に対し、自らの命を守るだけでなく、他の命を助けるという尊い偉業を残してきたのである。

今こそ、私たちは、この精神と伝承を受け継ぎ、いかなる災害にも対処できる準備が必要だ。明和の大津波という歴史的事実があるように、津波や地震等についても、今後の対策、予測等は大いに必要だ。いかに自然災害に強いまちづくりを行っていくかということを、常に念頭に置かなければならない。さらに、地域住民が助け合う「共助」のための自主防災組織の育成も市内全域に広げたい課題の一つで、住民一人ひとりが普段から防災意識を高め、万一の場合に即応できる地域社会でありたい

昔から(いまし)めに「天災は忘れた頃にやって来る」と言われていたのが、このところの日本列島は、忘れる暇もない程に、地震、竜巻、水害と見舞われ通しの感がある。全国規模での地震や、記録的な豪雨に襲われ、多くの貴重な生命と財産が失われている。悲惨なことだ。「何十年も住んでいるが、こんなことは初めて」と、被災された方々が口にされている。地球温暖化の影響からか、天候不順が常になり、自然は時に、想像を超える無慈悲な牙を、私達に向けてくる。昨日までの無事も、今日の安全を保証してはくれない。

この条例は、市にかかわるすべてのものが、相互に協力し、災害対策に取り組んでいくため、その決意を表明するものである。誇りと愛着を持ち続けることのできるまち「石垣」を、後の世代に引き継いでいくことを市民総意で決意し、この条例が制定されたことに大きな賛意を示したい。