コンクリート打ち放し色あわせ工法の歴史 第一話 | 中屋敷左官工業(株)

コンクリート打ち放し色あわせ工法の歴史 第一話

当社ならではの仕事のひとつ、「コンクリート打ち放し色あわせ補修」。


こんな風にコンクリート打ち放し仕上げが上手くいかなかった場所を・・・。




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あっという間に・・・。




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こんな風にしちゃいます!。




当社の色あわせ補修は他社さんとはひと味違います。


当社の工法は、失敗した部分だけの補修で直すことができるのです。


既存のコンクリートの色に合わせて補修してわからなくしてしまいます。カメレオンのように。


問題ない場所もふくめて、全体的に塗りつぶしてわからなくする工法は多々ありますが、それではコストがかかってしまいます。


当社は局所的補修で既存のコンクリートに色を合わせることができるので、ローコストで補修できます。


そこが当社の売りなんです。




私が会社を継いだ15年前に一番最初に取り組んだ新工法でした。


現場監督をしていたときに、「こんな事できる業者がいたらいいな」と思っていました。




今では当社の看板営業項目となりましたが、ここまで来るには本当に時間がかかりました。


この工法が今あるのは、ある一人の男のお陰なんです。




その男の名は「立道 昇」といいます。




私の祖父の代からの生え抜き職人です。


聞いて驚かないでください!


御歳 73歳 です!凄いでしょ!今でも毎日色あわせをしています。


私が会社を継いだとき、立道さんは58歳でした。




この工法を立道さんにお願いしたのには理由がありました。


ひとつには、私が継いだ当時の職人さんの中で最高齢であり、未来を考えて体力が落ちても稼げる仕事を創り出そうと考えたこと。


もうひとつには、立道さんは若い頃は当社の一番の稼ぎ頭で、たくさんの職人を抱える大職長であったとのことで、仕事に関するこだわりは強いだろうと思ったこと。


そんな理由で立道さんにこの課題をお願いしました。




その日から、私と立道さんの長く険しい道のりが始まりました。


つづく・・・。