私の最初の仕事
それは・・・
過去の決算書を見たことでした。
決算書というのは、会社の健康診断表のようなものだな、と思いました。
当時たしか、昭和63年くらいから平成6年までのものを見たと記憶してます。
はじめて見た決算書を見たときの思いは・・・。
「このままではダメだ。これからの時代きっとやっていけない」 でした。
そこで私が行ったこと。
当時は事務の女性が二人、働いていました。
お二人とも長い間会社を支えてきてくれた方でした。
そのお二人に、会計事務所の先生に次の働き先を見つけていただいて、
「経理処理はすべて私ひとりでいこうと考えています。こちらの会社に移っていただきたいのです。」
とお二人に伝え、そして実行しました。
平成7年、当時はまだ”リストラ”という言葉も世の中では使われていない時でした。
今考えても厳しい決断だったと思います。
この私の行動は、瞬く間に巷に広がりました。
そして、外部から聞こえてくる言葉は、「もう中屋敷はダメだ」、「あんないきなり東京から来た若造だもん無理だよ。」等々。
今でも忘れられません。父の一周忌を終えた親族での会食の席でした。
ある親戚の方からも、「剛、人を切るような経営をするようでは、先が無いぞ」と言われました。
でも、誰に何を言われても私の心は何一つ動じませんでした。
さらに社内の一般管理費をすべて洗いだし改善し、一年で大幅に圧縮することができました。
今思うと、私は”会社を継ぐ”ということに決断していたのだと思います。
まさに、決めて断ち切っていたのだと思います。
自分の好きだった仕事を辞め、今の仕事に完全に賭けていたということ。
そこには、もしだめだったら戻れば・・・なんて選択は万に一つもありませんでした。
そこが大事だったんだなと思います。
私は建築科卒業です。当時、会計処理なんて全く知りませんでした。
振替伝票?複式簿記????
それなのに、経理の女性にやめてくださいというのですから。
怖いもの知らずというか、若いというのはパワーがありますね。
本屋さんに行って、会計処理の本を買って読みあさりました。
当時まだ高価だったパソコンを導入し、”経理をできない状態”からスタートしました。
でも、人間本気でやればなんとかなるものです。
その年の3月には自分で決算書を打ち出していました。
そうです。
人間、”やるんだ!”と心から決めれば何とかなるもんです。
私は14年前の自分に、「よくやったね。」と言ってあげられます。
今の私が10年後の自分に、「よくやったね。」と言ってもらえるように、
この厳しい時代を頑張って生きていきます。