【大阪都・中京都構想「迷惑千万」と石原都知事】

読売新聞 12月11日(土)9時58分配信

 大阪府の橋下徹知事と名古屋市の河村たかし市長がそれぞれ掲げる「大阪都」「中京都」構想を巡り、東京都の石原慎太郎知事は10日の定例記者会見で、「国の政府があるところが首都で、二つも三つも都があるわけがない。東京にとっては迷惑千万だ」とけん制した。

 橋下知事は、河村市長とともに大都市圏の活性化を打ち出すため、来春の都知事選を含め、選挙でも連携する意向を表明していた。

 石原都知事は、「政令都市を抱えている知事は非常にはかないもの。その気持ちは分かるが、都と呼ぶ限り賛成できない」と述べた。


【「都構想」と「首都」と「首都機能」は違う。】


私はかねてから、大阪都構想を有している。
以前にも記述しているが、25歳時の初めての衆議院選挙出馬に際しても、当時から私のスローガンは、大阪府市における二重行政の解消がテーマであった。

昭和40年代。
当時、大阪市会議員であった父が、1970年大阪万国博覧会誘致の為に世界中の万国博覧会協会の理事の所を歩いた。
モントリオール市長との会談の中で、「大阪万博をどうぞよろしくお願いします」と挨拶したところ、「大阪万博なんて聞いていない。吹田万博の間違いでしょう」と切り返して来た。万博は、都市での立候補が条件なので、確かに先方の言う通り吹田市に会場が予定されていた事から、その様に指摘をされても、千葉にあるのに東京ディズニーランドと言う状態には間違いはなかった。

そこで父は思い切って吹田市を、大阪市に編入する計画を大阪市議会に提案した。
その当時吹田市からは「大阪市議会の領土欲だ!」などと言って批判もあったが、「それならば生駒山の麓まで大阪市にして、大阪府市を合併して、大阪に都政をひこうじゃないか」と提案して当時その議論が話題になった事を知っていたからだ。

今回、石原氏が言う「首都機能」は東京1つで十分だ。私もそう思う。
しかし、日本全国に地政学に従って、主要都市が点在しているのも国家としてより重要な政策だ。
アメリカを見ても分かるように、政治の首都はワシントンDC、商売の首都はニューヨーク。貿易の首都はロスアンジェルスとコングロマリットに機能分散をはかり、計画的に広大な国土にまんべんなく人とものとお金を分散させている。

現在の日本の国は、全てが東京一極集中になっており、地方が疲弊している現状に鑑み、円高の影響でなおさら海外に資本が流動化している現状を観るに、「都構想」にわざわざ目くじらを立てて叱りつける必要性は無いと私は思う。

若い時から大阪都政論を父に習い、主張していた事もあり、府議や市議からは選挙の時の演説で都政を!と言う度に、「それをあんまり言うな」とか「言うんやったら応援せんぞ」と言われた事もあった。


【当初、誰も賛成してくれなかった橋下氏へのアプローチ。】


当時、橋下氏に大阪市長選挙に出馬をと言っても、大阪の自民党府連幹部は勿論、各種団体も冷たいものであった。

「あんないい加減そうな茶髪の弁護士を市長になんて」とか「なんであれなんだ」とか本当に色々言われた。

当時の府連会議で賛成してくれたのは、私を除いて2名もいなかった。
当然、今維新の会に所属している地方議員のほとんども同様であった。

橋下氏と、それ以外の候補予定者にもスカウト交渉を行うにあたっては、党の後ろ盾無しには交渉は出来ないので、自民党の当時の大阪府連会長にも当然相談には行ったが、「自分は大阪市内は選挙区では無いので関係無い」と言われ、けんもほろろに断られた記憶がある。

そこで、大都市の市長になって貰いたい人物をスカウト交渉するのに、対象者に対して失礼があってはいけないとの思いから、自民党本部の幹事長と選挙対策委員長に相談に伺い、交渉するにおいての、政党としての正式な裏付けを取り、その上で交渉にのぞんだ。
色々あったが、やっとこさ乗り越えられた訳だ。


そして、それから数日後。。。


【 橋下氏に声を掛けた場所は、伊丹空港行きの全日空機の中だった。】


その当時芸能人として成功し、頻繁に東京大阪間を往復していた橋下氏に、伊丹便の機内で偶然に良く出会っていた。
そのジーンズ姿で茶髪の橋下氏に、声掛けを行い、党の幹部と飯を食べる事になった。
声を掛けて乗って来てくれた。
「よし!良かったぞ。政治に対して、立候補に対して関心があるに違いない」
とその時確信した。

当時は私も2期目の議員。大阪市内には3人しか自民党の議員はいなかった。
東京・赤坂のご飯屋さんを予約し、当時の自民党幹事長と橋下氏を招き、
3人で飯を食いながら
「橋下さん、大阪市長に出て頂けませんか。」
と、政治にスカウトした日の事を思い出す。


【 橋下氏の返答は。。。】


橋下氏は、

「どうして私が市長なのですか?」

「私は豊中市民だから大阪市には何も関係ない」と言われ、

「そこまで中山さんが出て欲しいと言うのは、中山さんに何かメリットがあるの
でしょう、どんなメリットがあるのですか。」

と聞いてこられた事を思い出す。


「何故市長か」に関しては、

当時の橋下氏は宮崎県の「そのまんま東」こと東国原宮崎県知事が「知事」なのに、何故自分が「市長」なのかと言うニュアンスに聞こえたので、大阪の事と行政の事を説明する意味で、「地方自治体は財政規模で見るのです。宮崎県では宮崎市よりも県の方が財政規模が大きいので、知事さんの方が自治体の財政規模でみれば優位にあり、位置付けも上に見えるが、大阪では逆なのですよ。大阪では市の方が財政規模、税収が府よりも上位に位置しているので、大阪市長の方が府知事よりも力でもある権限と財源をより多く持つ事になるのです。」
と話しをした。

そして、「豊中市民だからとおっしゃるが、北区に法律事務所もあるじゃないですか」と言いました。

私のメリットはという問には「1つは自分の選挙で戦っている民主党相手候補の父親が、大阪市の自治会を利用しながら息子の選挙に組織を利用している。大阪市では、役人への厚遇問題もあるが、市民に対する市民厚遇問題もあるのです。そこが真の改革が必要な問題なのです。特に大阪市の自治会に対しては、約3億円近い市民の税金が、特定の市民の自治会の役職に就いている人達に対して手渡しで現金が配られており、定年制が無いので、ピラミッド型の組織となり、非常に不透明な状態になっている。それを是非改革して貰いたいのが1つ。もう一つは、大阪市と府を合併させて、無駄な二重行政を廃する為、大阪に都政を施して貰いたい。」と言った。

橋下氏は「えっ!都政なんて無理でしょ~道州制なら分かりますけど」と言われた事を私は忘れない。当時の橋下氏には、都と言う発想が無かった。今になって分かってくれたのと同時に、実行に移してくれているのだろう。


【 答えはテレビ番組の中にあった。】


その後のテレビ番組に出演中の橋下氏は「2万%ない」と言った発言から、
私は東京にいる自民党幹事長に電話をし、市長選に橋下氏を口説く事を断念した。

その後の府知事選に橋下氏を擁立、スカウト交渉したのは、自民党大阪府連の幹部であろうと思う。

結果、大阪市長選挙は負け。
その後の知事選挙は勝ちと言う結果になった。

勿論、知事選には橋下氏に対して自民党で推薦をし、私も北区民センターで1000人大会を橋下候補の為自民党大会として挙行した。

橋下氏がスケジュールの関係でいけない時には、橋下氏の奥さんを連れて団体や組織に足を運んで頂くように引率をした。当時は、得体の知れない橋下氏に対して組織で推薦何かしてくれる団体は最初は無かった。一番最初に唯一、私がまとめて来た溶接組合位が最初に推薦して下さった有難い団体であった。
本当に温かい素晴らしい思い出に残る瞬間だった。

未だに感謝をしている。
忘れない。


【 知事選から1年後の事。】


知事選挙の1年後に、大阪市都島区で行われた花谷府会議員のパネルディスカッションに橋下氏、花谷府会議員、私中山と3人で舞台に立った。

橋下知事の一言目は

「都島区の皆さーん!この中で私に票を入れてくれた人」と語り、会場の全員が手を挙げた。その後知事は「そうですか、ありがとうございます!だけどね、私は皆さんに何の権限も無いんですよ。大阪市内には何にも権限が無いんです!」と発言した。

私がパネラーとして次に発言の順番が回って来たので、橋下知事に対してこう発言をした。

「橋下知事、やっと分かって頂けましたか。どうして市長にあれだけお誘いしたかの意味が。」

橋下氏は苦笑いをしていた。

会場の皆さんは、その真意は理解出来ていなかっただろうと当時も今も思う。

しかし、橋下氏には、私の言っていた意味は、深く、良く、理解を出来ていたのだと確信を出来た事に間違いはなかった。


【都政という地方分権の目指すところは無論同じ。しかし、目標への道のりと計画が違うのかも知れない。】


赤坂で初めて飯を食った時、「都政」への道の中身は一切言わなかった。
そこまで言わなくて、良かったのかも知れない。


ある時、
伊丹便の飛行機で、再び総理官邸で民主党幹部と握手した後の知事と、結婚式の二次会帰りの私が偶然に出会った。

ちなみにむこうはもう茶髪ではなく、黒髪にスーツ姿。
私は、逆に穴のあいたジーンズにTシャツ姿だった。

以前に機内で出会った時は、彼が穴のあいたジーンズ姿で、私がスーツ姿。

落選した後に機内で偶然に出会うなんて、よほど縁があるのかも知れない。
それとも神様のいたずらか。

伊丹空港に到着し、飛行機を降りる前、橋下知事の方から私に近付いて来られて、

「以前から中山先生が言っておられた、「都政」を頑張ってやってますから。」と私に耳打ちなさった。

「そうですか、頑張って下さいね。でも本気でやるのなら、大阪市内選出の府会議員を無くして、市会議員に兼職させる様にして定数削減を行い、本気度を見せないとダメですよ。」と申し上げた。

「市民がついて来れるかですよね」とおっしゃっておられた記憶がある。


他にも色々な橋下氏との思い出がある。

短い時間ではあったが、熱を入れて、彼の様な立派な人材を政治家にと思い、動き、選挙でも応援していただけに、現在は自民党との関係など、離間しているところもある様な気もするが、維新の会の騒ぎや自民党との混乱など、非常に残念な気がしている。

言うならば、一生懸命選挙の時に応援をした自民党と公明党を見事に裏切ったから。


【 喧嘩をしていても始まらない。】


しかし、喧嘩をしていても始まらない。
我らの様な若人世代が、大いに議論しながら明日の日本を作って行ければ嬉しい。

メディアもほとんど知事の政策を斜めには論評することを避けている様だ。
これではメディアの役目を果たしている事にはならない。

現職の行政の長に対しては、しっかりと市民府民に客観的な説明と、疑問を投げかけるべきなのではないだろうか。

都政へ移行する為に必要なコスト計算すら聞いた事がない。それどころか、議会を通過しない事が分かっているのに定数削減の提案をパフォーマンスとして行う事は、ナンセンスだと思った。

どうせなら、完璧に通るように行うのが筋なのではなかろうか。


橋下氏は好きだが、彼の政治が全て整合性があるとは思わない。

橋下知事の、「東条英機」に対する評価など、知事の考え方には疑問もある。

他にも伊丹空港を含めた軍事問題など、色んな議論もした。

もっともっと大いに議論したい。

メディアは、公平公正に評価を行って欲しい。

今は少しばかり、地方の実質与党でもある橋下氏率いる維新の会側に偏向している報道の中身が多い様に感じる。

なにせ、統一地方選挙まで半年を切っているのだから。

既存の政党を、あまりにも批判的に扱う事に疑義を感じている大阪市民や府民もいる事を忘れないで欲しいと思う。


やがて、議論する時がやって来るだろうと思う。












つづく