“MADE IN JAPANに問題あり。】



日本全国から老人が行方不明になり大変混乱している。

まるで現代版の「楢山節考」


100歳以上の老人の行方知れずが、昨日の段階で全国57名にのぼる。

平均寿命がつい先日発表されていただけに、日本の「調査」「統計」に対する信頼性への人々の不信感が、正直浮き彫りにされてしまった形だ。


世界には「国勢調査」というものがある。

国勢調査が出来る国と言うのは、常識的に国の自治、統制が平均的にとれていて、平和な国であるという事と、国家としての力量が観られる。

世界の国々でも後進国は、この「調査」「統計」が出来るか否かで、他の先進国を含め、同列に位置する国家間の微妙な精神的競争関係に挑んでいるところがある。安倍・福田両内閣で外務大臣政務官を勤めていた時、国際会議の場でコーヒーブレーク時に各国の代表と談笑していた時、国勢調査の話題になり、後進国の政府代表が日本政府代表の私に一生懸命「自分の国が、今年やっと国勢調査が始まるんだ。」とアピールを嬉しそうに、また他に一緒に居た同列の他国政府代表に自慢げに聞かせてやろうと思い、日本政府代表の私に話を熱心に行っていたのが今でも印象に残っている。


日本は幸福にも現在は先進国。

この「経済」・「財政」・「政治」・「心」の不況下の中、GDPも何とか世界第2位をほこっている。後進国から観れば、ちょうど明日やって来る広島・長崎の原子爆弾投下によって65年前に全てを失った日本が、戦後65年目でここまで平和的に再生した「勤勉でしっかりと、きちっとした国家・国民性を有する国=日本国」の事がお手本になるような感覚を有して下さっている。そして我々の先人達の努力により、世界中の人々にそのような印象を結果として抱かせるまでに日本を、後世に生きる者達の為に国家としての成長を成し遂げさせて来て下さった。その恩恵に現在の我々日本国民は預かっているという事だ。





【富国か富民か。】



池田勇人総理大臣当時の日本は、「所得倍増論・計画」によって世論を鼓舞、牽引し、実際にどんどん日本が経済成長を成し遂げる事が出来た。

企業のサラリーマンがスーツケース1つで世界中を飛び回ってビジネスが出来たのも、ちょうどこの時期いに始まった。ある意味「高度成長」という良い時代でもあったが、ここで忘れてはいけないのは、何故、日本の企業が、サラリーマンが安心して世界中でビジネス展開する事が出来たのかだ。

それは一代前の岸内閣当時に、米国との安全保障を実現させた事にある。

米ソ冷戦構造の中、太平洋シーレーン防衛を考える米国から太平洋をのぞんで日本みて、西側の最西端かつ、ソビエト連邦への砦。それが日本の地政学的位置。

警察予備隊から始まった戦後の自衛隊の兵力のみでは、日本の経済基盤を含めた安全の確保には限界があり、米国の軍事力の背景があったればこその日本の昭和期における経済成長・高度成長でもあった。

しかも当時の所得倍増計画は日本国浮揚の為。その為に国家も成長して富み、それにより日本国に住まう国民も、生活における余裕があらわれると言う事であった。しかし、人間は怠惰にもなる。





【公の幸福から個々人の幸福への変化】



所得倍増で国民の生活や所得は豊かになったが、いつの間にか国家としての所得倍増が、国民の、利己的な、個々人の豊かさだけの追求に変化して行ってしまった事である。

国民は苦労の時代を都合よく忘れ、国の事など政治など二の次で、経済優先、政治はあとあと。そして拝金主義とも言える状態にまで政治を無視し続け、バブルがやって来た。しかしもうその時は遅かったのかも知れない。気付いた時には弾け飛んでいた。上手く行かなくなった経済の皺寄せは、結果政治の責任と政治が攻め続けられる結果に陥る事になる。

そうして、大衆迎合=ポピュリズムの政治へと移行し、政治家も企業の経営者も気骨ある人物が減少し小粒化してきた。

そして、サラリーマン的な経営者やサラリーマン的な政治家が増えてきたような気がする。

創業者的な良い意味で冒険心のある、ワイルドな人が減って来た。

霞が関から永田町へ天下る人も増え、司法、立法、行政の中で、立法に行政の別院が誕生してきたような気がする。立法の行政化が起きつつある。


思い出してみよう。

国が、国を豊かに富ませる事により、そこに住まう国民も豊かになる。

そのように考えていた時代は、国の経済も政治もたくましかったような気がする。例え貧乏であっても、「心の黒字」は確かにあった。

現代の日本はどうか?裕福になり、色々な意味で昭和の高度成長期よりも豊かな生活状況になってはいるが、「心は赤字」そんな気がする。


個人の権利主張ばかりが世の中には跋扈し、声の大きな者ほど、そのわがままが受け付けられ得をする。世の中や政治の事なんて考えてない。悪い事は政治家のせい、役人のせい、誰かのせい。。。そんな事で、日本が良くなるはずがないと思う。


今回の老人の行方不明問題は、内政問題ではない。これは日本からマイナス発信している国際問題だ。日本の現政権、内閣や日本人の政治家も含めた認識が、国内対応だけに集中していると、大きな外交的失策につながり、やがて日本の国の経済活動や、日本人自身の信頼感の喪失に必ず残念ながらつながって行く事が目に観え想像出来る。


菅直人総理大臣は、公の場で本を出版してまでファーストレディーの奥さんに文句を言われているだけでは視野が狭い。ましてやいとこ同士での結婚。外の家庭の事などは、もしかしたら分からないのかも知れない。

感覚がないのかも、夫婦ともに。



【政治とカネ、国民とカネ。】 



この現在の日本の現状は、異常な状態にあると言える。

日本の常識は、世界の非常識。


これを地で行ったらどうなるのか。

石原都知事の言う通り、地に落ちる。今以上に落ちるだろう。


しかも、既に亡くなられている方に振り込まれている社会保障費の行方等の問題もある。政治とカネの問題だと政治家に指摘するべき問題もあるが、国民とカネの問題もあるのかも知れない。





つづく


以下は参考までに。





以下は映画、「楢山節考」のあらすじ・・・goo映画の解説より

山また山の奥の日陰の村。--六十九歳のおりんは亭主に死に別れたあと、これも去年嫁に死なれた息子の辰平と孫のけさ吉たちの世話をしながら、息子の後妻をさがしていた。村では七十になると楢山まいりに行くことになっていた。楢山まいりとは姥捨のことである。働き者のおりんはお山まいりの支度に余念ない。やがて村一番の行事である楢山祭りの日、隣村から辰平の嫁が来た。お玉といい、年も辰平と同じ四十五である。気だてのいい女で、おりんは安心して楢山へ行けると思った。だがもう一つしなければならぬことがある。おりんの歯は子供たちの唄にうたわれるほど立派だった。歯が丈夫だということは、食糧の乏しい村の年寄りとしては恥かしいことである。そこでおりんは自分の歯を石臼にぶつけて欠いた。これで支度はすっかり出来上り、あとは冬を待つばかりである。おりんの隣家は銭屋といい、七十才の又やんと強欲なその伜が住んでいた。又やんはなかなか山へ行く気配がなく、村では振舞支度が惜しいからだと噂していた。おりんの家では女がまた一人ふえた。けさ吉の子を姙っている松やんである。彼女は家事は下手だが食物だけはよく食った。木枯が吹く頃、雨屋の亭主が近所に豆泥棒に入り、捕って重い制裁をうけた。そして雨屋の一家十二人は村から消された。おりんはねずみっ子(曽孫)が生れるまでに楢山へ行かねばと決心し、あと四日で正月という日、「明日山へ行く」といい出した。辰平をせかして山へ行ったことのある人々を招び、酒を振舞ってお山まいりの作法を教示された。次の夜、おりんはしぶりがちな辰平を責めたてて楢山へ向った。辰平に背負われたおりんは一語も発せず、けわしい山道をひたすらに辿った。楢山の頂上近く、あたりに死体や白骨が見えはじめた。おりんは死体のない岩陰に降り立った。顔にはすでに死相が現われていた。おりんは辰平に山を降りるよう合図した。涙ながらに山道を戻った辰平は、七谷という所で銭屋の伜が又やんを崖からつき落そうとするのを見た。憤りが辰平の身うちを走り、又やんの伜に躍りかかった。銭屋の二人を呑んだ谷底には鳥が雲のように群っていた。雪が降り出した。辰平は禁を犯して山頂まで駈け登り、念仏を称えているおりんに「雪が降って来て運がいいなあ」と呼びかけた。おりんはうなずいて帰れと手を振った。--村に帰りついた辰平は、玉やんと並んで楢山をのぞみ見ながら、「わしらも七十になったら一緒に山へ行くんだね」とつぶやきながら合掌した。


以上



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