ファンキービジネス/ヨーナス・リッデルストラレ

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「ファンキービジネス」。
2000年に執筆された本なのに、的確に今起きていることを予見していて衝撃です…。

でも、10年前の予測を10年後に読んでも意味ないと思いますよね(^o^;)

ところが、漫然と理解していた現状の大きな世の中の流れが、過去からの未来予測という形で理解することによって、どんな事象との因果関係で起きているのか理解できるので有益な読書体験でした、実は。
ということで、ここから先は自分なりに思うことのつれづれ。


【価値が上がるもの】
・誰かのマネではない、前例のないものやこと。
・富は最適化ではなくイノベーションから生れる。
・人間の頭脳/創造性


【将来価値が下がるもの/消えゆくもの】
国家。もはや適切な世界の構成単位ではない。
政党。雑多な意見のごった煮では世界を変えることはできない。
家族。もはや団らんに時間を費やさない。
平均的な商品、個人、企業。
競争の戦略。どこへも導いてくれない。


【企業の存在とは】
ボスという概念。
職種という概念。
・優秀な雇用者を引きつけ組織にとどまらせることが、テクノロジーより大切になる。
・会社には永遠に存続する義務も必要もない。
・会社は新しい人やチャンスと出会うために放浪する一個人の一時的なキャンプ
・未来のある会社は永続性があるより、むしろエネルギッシュ
・ヒエラルキー型組織。顔はCEOに向いているが、ケツは消費者に向けている。
・小さなチームこそ、クリエイティブ。
テンポラリー:企業活動がプロジェクト単位、グループ単位で進む。
・ビジョンとはユニークであり、差別化を生むもの。
・ビジョンは会社が「何をしてはいけないか」を明確にするもの。

*「会社は一時的キャンプ」になって、個人はより自己中心的になっていくの?たぶん違う。
テクノロジーの進化によって世界が狭くなって、その恩恵でボーダレスに流動化が進んだのと一緒。企業という境界があいまいになったせいで、会社の枠を超えたネットワークを構築しながら働くスタイルが主流になるのだと思う。
むしろ個は「個人主義=内側に向かう」のではなく、よりカンパニーボーダレスで外向きになっていくんじゃないかなと、私はポジティブに感じている。そして個人は社内外のプロジェクト単位、チーム単位で流動的に働くことに慣れていくんだと思う。
今っていろいろな社外勉強会や交流が多い。10年前はどうだったかと思い返してみてもこの大きなトレンドは確実に進行している。


【印象深い金言】
・誰にとっても何者でもないよりは、誰かにとっての何か。
・企業が販売するものと、客が購入するものはまったく別の二つの商品。
・特定の顧客にフォーカスすること=一定の客層を拒絶することである。
・ブランドは自分達が何者であるか、あるいは何者になりたいかをアピールする機会を与える。
・物理的資源が使えば枯渇する、知性は使えば使うほど埋蔵量が増える
・成功したときよりも、失敗したときのほうが最も強烈な学習体験。
・今やメイドイン「どこで」、ではなくて、メイドイン「誰によって」。


*この本のなかで何度もリピートされるのが「イノベーション」「ユニーク」「フォーカス」。供給過多の世の中においては、モノやサービスに大きな差がなくなるため、既にある何かをさらに最適化したり、マネしてちょっといいものを創るだけでは、顧客に選ばれないということだろう。
この辺は最近読んだ「ハイ・コンセプト」でも連呼してたのでまるでデジャヴだ。
「競争戦略」は間違っていた訳ではなくて、かつては富を生んだけどこれからは役に立たないというだけ。世の中は常に変化しているから。そして「イノベーション」「ユニーク」「フォーカス」は大きなリスクをはらんでいるので成功の十分条件ではないけれど必要条件だと言えそう。かつては「人(労働力としての人)/モノ/金」が、富を生み出す経営資源と言われたけれど、これからは人間の知識や創造性が経営資源になるんだろう。


今日はココまで。


*ちなみにこの文体、全編を通してかなりイラッとさせます(挿絵も野暮なんだけど、野暮を通り越してむしろシュール)。先進的な内容の一方で、文体だけは昭和の不良なのです。日本語訳をしたのはコメディライターさんだそうで、この編集者さんはなぜこのような選択をしちゃったのかと残念な気持ちでいっぱいです。
いつか余裕のあるときに、英語の原文で読みたいです。どういう翻訳したのか知る意味で。


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