現在軽量級最強と言われる、プロボクサー井上尚弥の減量 | こあら 元気のブログ

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現在軽量級最強と言われる、プロボクサー井上尚弥のファンになりました。

彼の減量の記事を発見しましたので、興味のある方だけ、目を通して下さい。

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井上尚弥が語る「ボクサーの驚くべき減量事情」

時には「命を削る減量方法」さえ辞さない

井上 尚弥 : プロボクサー 

2020/01/03 15:00

 

 

 

 

 プロボクサーにとって減量は当たり前のことを当たり前にするだけだという。井上尚弥氏の仕事におけるプロ意識とは? 写真はWBSSバンタム級決勝にて井上尚弥がWBSS制覇(写真:山口裕朗/アフロ)  

プロボクサーにとって、トレーニングと同等か、あるいはそれ以上に重要視されるのが「減量」だ。世界WBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥氏が、自身の減量との向き合い方について語る。

自身の「勝利を引き寄せるための思考術」を記した『勝ちスイッチ』から一部抜粋、再構成してお届けする。

減量はボクサーにとって避けて通れない仕事である。ミニマム級からヘビー級まで17階級に分かれているプロボクシングにおいて、試合前日の計量までに規定体重を作れないボクサーはプロを名乗れない。

試合が決まると減量の2文字が頭のどこかにインプットされ、1カ月前を境に本格的な減量期間へと突入する。僕は、その日を大好きな焼き肉の「食い納めの日」に設定。弟の拓真、いとこの浩樹らと、腹いっぱいに肉をほおばり、翌日からはバッタリではないが、“焼肉断ち”に入り前日計量まで節制生活を続けることになる。

僕のバンタム級転向後の早期KO連発を「減量からの解放」と結びつけるボクシングジャーナリズムの論調がある。確かにせっかくの筋肉やトレーニングで積み重ねたものを減量で削り取ってしまっていた時代があった。

試合に向けての調整、準備の99%を減量が占めるという苦しい時代。通常体重60キロからリミットの48.97キロまで落とさねばならなかった2012年10月のプロデビュー戦から、2014年9月のWBC世界ライトフライ級王座の初防衛戦までのライトフライ級時代だ。

時には「命を削る減量方法」さえ辞さない

ボクシングの減量方法には、ジェイミー・マクドネルが行った直前に急激に汗を出して水分を落とす“水抜き”や、計画的に徐々に落としていく減量などさまざまな手法がある。僕のライトフライ級時代の減量方法は、計量前に絶食するという無茶なものだった。2、3日何も食べないのだから、当然、体重は落ちる。だが、リングでベストのパフォーマンスを発揮するには褒められた手法ではない。命を削る減量方法である。

2014年4月。プロ6戦目で初の世界挑戦を迎えたときの減量は、計量2日前でリミットの48.97キロに1.9キロオーバーだった。1カ月前から減量に入ったが、軽い脱水状態が続いていた。

ここから試合前日の計量日までの2日間は、基礎代謝だけに頼り絶食で落とした。何も食べない、何も飲まないのだ。口の渇きは、うがいで我慢する。試合3日前の練習が終わった、その夜から絶食に入る。一晩寝て、朝起きると300、400グラム落ちている。人間は、何もせずとも細胞分裂が行われるため、自然に基礎代謝が起き、汗などで体重が落ちる肉体のメカニズムになっている。

その日は、1日、何もしない。実家の自室にこもるのだ。テレビを見たり、ゲームをしたりしながらソファやベッドでぼーっとして時間が過ぎるのを待つ。

大好きな映画でも見れば、少しでも気が紛れ時間が早く過ぎるのでないか、とトライしたこともあるが、脳が活動するための糖分などもいっさい摂取していないため、脳が働かず集中力が出ない。まったく頭にストーリーが入ってこないのだ。かといって何かをする元気もない。入院患者のように1日を過ごした。

すると、その間に基礎代謝が進み、夜に体重計に乗ると600グラムは落ちていた。これで残り1キロである。もう一晩寝て、朝起きると、さらに300グラム減で、あと700グラム……。ゴールが見えてきたが、ここまでくると、基礎代謝による体重の落ち方もスローになってくる。2日目も日中、何もせずに過ごして落ちるのが500グラム程度だ。

それでも寝る前に体重計に乗ると、リミットまで残り200ラムにまで迫っていた。そして、最後の一晩を寝て、朝目を覚ますと最後の200グラムが落ちていた。落ちるとは信じていたが、体重計の目盛りを確認すると、全身の力が抜けるほどの安堵感に包まれた。

だが、丸2日の絶食である。過酷を通り越して地獄だった。計量は、たいてい午後1時くらいに設定されているため、そこまでに50グラムから、100グラムほど落ちることがある。こういうときは、その浮いた分だけの水分や食べ物を口にできる。絶食中も、あまりに苦しいときは、体重計に乗りグラム数を計算しながら「50グラムなら大丈夫」と母にグレープフルーツをむいてもらったこともあった。

「無理な減量」が招いた悪影響

世界初挑戦となったWBC世界ライトフライ級王者、アドリアン・エルナンデス(メキシコ)とのタイトル戦では、試合の途中に足がつった。緊張もあったが、減量によるミネラル不足が原因だったと思う。この試合前にはインフルエンザにもかかり、さらに最終調整が難しかった。限界を超えた減量により抵抗力が落ちてしまっていたことも、インフルエンザのウイルスに抵抗できなかった理由かもしれなかった。

父が大橋秀行会長と話し合って「長いラウンドは持たない。もうここで勝負だ!」と6ラウンドにゴー指令が出た。打ち下ろす右ストレートでキャンバスにはわせたが、足が思うように動いていなかった。負けることはなかっただろうが、ズルズルと試合が長引けばKOシーンをファンにお見せすることはできなかったかもしれない。

世界挑戦の際、ライトフライ級で世界ランキングに入ったという事情もある。だが、今振り返ってみると、最初からフライ級からスタートすればよかったという悔いはある。無理な減量を行う必要はなかった。

ライトフライ級での減量の限界を大橋会長も察知してくれていた。世界タイトルを取った直後から、「もう無理だな。上げよう」と言ってくれた。大橋会長はライトフライ級からミニマム級に地獄の減量を経て階級を落とし世界を獲った経験がある。

常日頃からスパーリングを見てくれている大橋会長からすれば、減量にすべてを奪い取られ、リング上の井上尚弥は本来の力の半分にも満たないということらしい。僕自身も限界だと思っていた。

だが、チャンピオンには防衛戦という義務がある。ライトフライ級の卒業試合のつもりでタイのサマートレック・ゴーキャットジムとの初防衛戦を選んだ。減量は比較的うまくいったが、もう限界だった。試合の中盤に2度ダウンを奪いながら、途中、拳を痛めたこともあり、仕留めるまで11ラウンドもかかってしまった。大橋会長は、試合後、転級をメディアに発表した。

初防衛戦を終えると、すぐに1つ階級を上げて、2014年の年末にフライ級での世界戦挑戦が水面下で進んだ。当初、アルゼンチンのWBA世界フライ級王者、ファン・カルロス・レベコがターゲットだった。

初防衛戦のメインでは、WBC世界フライ級王者だった八重樫東さんが代々木体育館のファンを総立ちにさせた大激闘の末、“ロマゴン”ことローマン・ゴンザレス(ニカラグア)に壮絶なTKO負けを喫していた。ロマゴンは当時無敗で軽量級最強と呼ばれていた。ゆくゆくは、このフライ級でのロマゴン戦も頭にあった。

だが、レベコの試合が10月末に予定されており、しかも腕にケガを負っていて、その試合をできるかどうかも未確定。2013年2月に来日して、黒田雅之選手に判定勝利していたテクニシャンのレベコとの試合は宙に浮いた。

運命としか思えないようなチャンス

魑魅魍魎のボクシングビジネスの世界では、しばしば運命としか思えないチャンスに巡り合えることがある。たまたまレベコと名王者、オマール・ナルバエスのマネジャーが同じで、高額オファーにも応じる日本人との試合を何としても組みたかったのだろう。プロキャリアが7戦しかない僕ならば、経験でさばけると考えていたのだとも思う。

「レベコは無理だが、スーパーフライ級のナルバエスならやれる」と、逆オファーしてきたのである。父を通じてその話を聞いた僕に、躊躇などなかった。フライ級でさえ、まだ減量が苦しい。2階級上なら、思う存分力を発揮できるし、しかも相手が無敗の11度防衛中の名王者なら最高の好敵手である。

最近になって、大橋会長は「フライ級でなんとしても1試合組んでおけばよかった。1つ飛ばしていなかったらマニー・パッキャオ(フィリピン)に並ぶ6階級制覇が可能だったのに悔いが残る」という話をしてくれるが、感謝こそあれ後悔などない。

ナルバエス戦は、最高のマッチメークになったし、そもそも何階級制覇という記録には、それほどの興味はない。記録だけがボクサーの評価ではない。ファンが見ているのはパフォーマンス。記録より記憶。1試合1試合がどれだけ人々の心に刻まれるか、語り継がれる試合にできるか、が重要なのだ。

ライトフライ級のリミット、48.97キロから、52.16キロに3キロほどリミットの上がったスーパーフライ級では力がみなぎっていた。

ただ、このときも「プラス3キロ」に余裕を持ちすぎて、結局最後は、1日だけ同じように絶食した。ただライトフライ級時代と違い、エネルギーが残っている中での絶食だったので、1日くらい飲まず食わずでも何ともなかった。

現在のバンタム級のリミットは、さらに上がって53.52キロ。通常体重も62キロくらいに増えているが、試合が決まるとまず60キロにしてから準備をスタートするので、実質6.5キロ程度。ライトフライ級時代に比べれば天と地ほど楽になった。

1カ月前から本格減量に入り、プラス5キロを維持しておき、1週間前で残り3キロにするのが目安だ。食事量を調整すれば練習によって体重は落ちる。僕は“水抜き”と呼ばれる直前にサウナや風呂などで、汗だけで一気に2、3キロ落とす手法は使っていない。

プロにとって減量は「当たり前のこと」

普段、練習ノートをつけることなどしていない面倒くさがりの僕が、体重についてだけは、毎日メモしている。どの段階で何キロだったかを記録しておくことが、次の減量に向けての指標になるからだ。イギリスのグラスゴーでは通常よりペースを上げ、早めに落として現地入りした。アメリカでの試合で空気が乾燥して汗が出なかった経験があったからだ。10日前に入ったが、その時点で、もう残り1.7キロオーバーだった。

メディアには、公開スパーなどで必ず「今の体重は?」と質問される。WBSSの準決勝、プエルトリコのエマヌエル・ロドリゲス戦前には「言いたくない」と答えなかった。基本的に体重は公表したくない。減量に苦しんでいる姿を見せたくないわけではなく、相手陣営に1つでも情報を与えたくないのである。苦しいのか? 逆に楽なのか? ボクシングは心理戦でもあるから、そういう小さな情報が勝敗を左右するかもしれないのだ。

プロであるための仕事として練習と減量はセットだ。ボクシングだけに限らず体重制限のあるスポーツで減量は当たり前のこと。当たり前のことを当たり前にやる。それが減量に対するスタンスだが、コンディション作りという意味では、減量はクリアしなければならない大きな壁でもある。

最高の状態でリングに上がるには、減量とリカバリーの成功が非常に重要な役割を占める。試合への準備期間が3カ月あるとすれば、減量に集中するのは最後の2週間だ。そして、この2週間が実にセンシティブなのである。

 

コアラ 一般市民の私には、大変だなあとしか感想がありません。これに耐えられるからこそ、チャンピオンなのでしょう。