思い出したこと | 認知症の義母と暮らしてました

認知症の義母と暮らしてました

今年、85歳になる義母は認知症です。昨年からうちに引き取り同居しています。義実家の片付けもあります。
ようやく特養に入り義実家ももう少しです

皆様、いつも沢山のいいねと
ありがたいコメントを頂き
ありがとうございます!







癒しちゃんの記事を読んで
思い出したことがあります
ほんとにヘルパーさんのお仕事は
大変です
(ひとことではすみませんよね)
ふうこには絶対無理です
いつも義母の施設に対する色々を
ここで愚痴らせてもらってるけど
それはそれ
(勝手ですみません)
介護に関わるお仕事をされてる方は
すごいなぁって尊敬します








で,思い出したことです
長文になります
すみません








ふうこの母の実家は
母の姉が婿養子をとって
母の母(祖)と暮らしてました
長男がひとりいて結婚して家を出て
それからは長いこと二人で
穏やかに暮らしてました
その婿養子である叔父が
今から7年くらい前に
老人ホームで亡くなり
その3ヶ月後に妻である叔母が
後を追うように亡くなりました
その叔母は透析のために隔日に通院
しながら在宅で一人暮らししてました
一応足腰は丈夫だったし
頭も大丈夫だったし
もともと気丈な性格だったから
簡単なことはほぼ自分でこなしていました
買い物と家事の補助とか
重いもの大きいものの移動などと
通院介助などにヘルパーさんが
入ってくださってました
通院の日は送迎と家事援助とおしゃべり
在宅の日は買い物と
朝昼晩の家事援助とおしゃべりと
見守りをしてくださってました
とても良い方だったらしく
叔母も毎日楽しそうでした
それはもう家族のようでした
近くに住む長男のお嫁さんが
キーパーソンになり
ほんとによくしてくださいました
叔父を入所させて
叔母にヘルパーをつけて
病院とのやりとり
ヘルパーつけるまでは買い物から通院まで
日々の世話を通ってされてましたから
お嫁さんも大変だったでしょうね
お嫁さんはご自分のご両親を
二十歳になる前に
両方とも亡くされてて
自分の両親にできない親孝行を
させてもらってるって、、、
すごいお嫁さん
ふうことは雲泥の差(笑)
ほんとにたまにしか会いに行かなかったけど
いつも笑顔で優しい叔父叔母でした








そんな生活だから
その叔母の最期を見届けてくださったのは
やはりヘルパーさんでした
在宅の日の昼に家事介助に
こられたヘルパーさん
昼食を終えた叔母とおしゃべりしながら
用事をしていると
お茶を飲みながら居間に
座っていた叔母がコトンと頭を
テーブルにふせたそうです
「大丈夫ですか?」と声をかけても
動かず眠ってしまったのかと思ったら
もう息をしてなかったそうです
もうそれはそれは気持ちが動揺して
救急車を呼んだり
家族に連絡したりしたことを
あまり覚えてないとのことでした
告別式にも来てくださいました
このお話はお嫁さんから聞きました
ヘルパーさんありがとうごさいました







ヘルパーというお仕事が
どういうことをするかというのは
なんとなく知ってはいたけれど
本当に大変なお仕事なんだなぁ
仕事というだけでは割りきれない
人としての部分がすごく大切なんだなぁ
って感じました
こんなとこでこんなこと書くのも
おかしいかもですが
直接お世話になってる義母の施設の皆さん
はじめ介護に携わっておられる皆さんには
感謝し尊敬しています








長くなるのですが
私は他にもこの叔母のお嫁さんに
感謝していることがあります


ドがつく田舎で付き合いも大変な村
だけどすごく丁寧に近所にも
挨拶に回られて村のしきたりに
キッチリ従って叔父と叔母の葬儀を出して
私も葬儀に参加しましたが
長老たちが次から次と押し寄せて
あっちを立てればこっちが立たずで
何がなんやらほんとに大変でした
もう適当でいいんじゃないかと
思ったりしたけれど
長男夫婦は後から文句を言われたり
することのないように
後腐れのないように
頑張ったんだとわかりました
それは
叔父と叔母の一周忌の時
その家は無く
すでに更地になっていたからです
それはなんとそこも借地だったからです
長男夫婦ほんとにがんばりました
このことが
私達が義家のことを考えるときの
追い風になりました
母の実家の長男夫婦が頑張ったんだから
私も頑張れるはず!
背中を押してもらいました
感謝しています









お嫁さんのところの息子さんが
結婚したり孫も生まれたりして
そっちに関わってやりたいから
いつまでも置いておいても
お金もかかるし管理もあるし
どんどん自分も歳をとるし
動けなくなる前に
結局いつかはしなくてはいけないことだから
せめてさっさと済ませたかったそうです






母の母にも(祖母)
この叔父叔母にも幼少期には
ほんとにお世話になりました
私には唯一のおばあちゃんの家でした
学校の長期の休みは
ずっとお泊まりしてました
優しく大切にしてもらいました
とても暖かいところでした
ありがとうごさいましたの気持ちで
一杯です








なんかとりとめもなく
沢山のことを書いてしまって
まとまりがありませんね
読みづらかったらごめんなさい
こうして思い出すことは
とてもいい供養だと誰かが言ってたな
供養になるといいな








ふうこのひとりごと
読んでくださりありがとうございます