臨床心理士と可愛い絵本⑥

【 ぼくはくまのままでいたかったのに 】

 

『臨床心理士と可愛い絵本』と題して、

シリーズでお送りします(更新は気ままに〜です)。

 

幼い頃に好きだった絵本を

大人になった今あらためて手にした時、

そこには深くて広くて大きなメッセージがあるように感じました。

 

"大人になったから" だけでなく

"臨床心理士として" の視点も増えた私が、

一冊の可愛い絵本に想いを寄せて、語ります。

 

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第6回目にご紹介するのは

【 ぼくはくまのままでいたかったのに 】

(イエルク・シュタイナー:文 イエルク・ミュラー:絵 

おおしまかおり:訳 ほるぷ出版)

 

〈あらすじ〉

冬眠から目が覚めたクマは、

まだ自分は寝ぼけているのかなと、ぽかんとしました。

なぜなら、クマが暮らしていた広い森があとかたもなく消え、

そこには大きな大きな工場ができているのです。

 

クマは、なぜか工場で働くことを強制されます。

クマは人間に「自分はクマだ」と伝えても、汚い怠け者だと罵倒され、

「とっとと仕事につけ!」と怒鳴られてしまいます。

 

それでもクマはクマだから「クマだ」と主張します。

誰も信じてくれず、また罵倒されるばかり。

「とうとう僕のことをわかってくれる人間に会えた」と思っても、

結局「えらく強情だな」と嘲笑われてしまったり、

他のクマさえもクマをクマだと信じてくれなかったり・・・。

 

クマは罵られ蔑まれることが当たり前の日常になっていきました。

 

冬、工場を解雇されたクマは、雪の降る道を歩き続けます。

ふと座り込んだクマの身体に、雪がどんどん積もっていきます。

クマは「大事なことを忘れたらしい」と思いながらもそれが何か分からず、

雪の中に沈んでいくのでした・・・

 

 

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この絵本は、可愛いクマちゃんの絵柄ではなく、

暗く重たい雰囲気が感じられるような描かれ方をしています。

臨床心理士Tは、こんなことを考えました。

 

(1)自分の基準だけで物事を見ていないか?

 

人間は、クマがいくら「自分はクマだ」と言っても、誰も話を聞こうともしません。「こんなところにクマがいるはずない」という思い込み、「クマとは〇〇である」「クマなら〇〇であるべき」「クマは〇〇なんてやらない」など各々の凝り固まった物の捉え方・価値観だけを基準にしているため、「自分はクマだ」というクマの言葉を嘘だと決めつけてしまっているのです。

「ん・・・?クマ・・・かも??」「自分の思うクマって実は違うんじゃないか・・・」なんて思う人が一人もいない状況です。

 

私たちは日常の中で自分の捉え方や価値観と異なる人に出会った時、ちゃんと聞く耳を持っているでしょうか。自分と違う考え方をすぐに受け入れることは難しくても、ちょっと耳を傾けるくらいのことはやってみていいのではないでしょうか。「自分はクマだ」と言うクマに、あなたならどう対応するか・・・頭の凝り固まり具合をチェックしてみると良いかもしれません。

 

(2)何も言わない何も言えない、そうさせているのは

 

クマは、いくらクマだと言っても誰にも聞く耳を持ってもらえない、それどころか否定されたり罵倒されたり・・・という経験を重ねるうちに自分がクマであると主張することをやめてしまいます。「言っても無駄だ」「言ったら馬鹿にされるだけだ」と思い、意識的に「もう言わない」を選択する、つまりもう何も言えなくなっていく、ということです。

 

私たちの日常にも「言わない・言えない」は溢れているように思います。職場で不満の声が挙がらないからホワイトな環境だと思いたいけれど、「言っても無駄だから言わない」「言ったら立場が悪くなるから言えない」という現実はよくあることかもしれません。「困っていることがあったら何でも言ってね」と優しくされても、その相手を信頼していなければ、何も言わない、何も言えない、ですよね。もし周りにどんな時もYESで従順な人がいれば、「NOを言わせないような関わりをしていないか」「NOを言えないだけで本当は嫌なのではないか」など、振り返ってみてはいかがでしょう。

 

(3)救いはどこに・・・

 

この絵本は静かな終わりを迎えます。その後クマがどうなったのか、クマはクマでいられたのか、描かれていません。その分、絵本を閉じる際にクマの幸せを願わずにはいられません。

 

救いがあるとすれば、こうして読者がいて、読者がクマを想っている、という点でしょうか。もしかしたらクマは「どうせ誰も僕をクマだと分かってくれない」「僕ってクマじゃないのかもしれない」と自分を見失い、自分の生きる指針を奪われた状態かもしれません。でも読者は「クマはクマだ」と分かっています。「クマ、あなたはクマだよ。私にはちゃんと分かるよ。」とクマに言ってあげたくなる、これがほんのわずかな救いのように感じます。

 

私たちもクマと同じく「自分の悩みなんて誰も分かってくれない」「分かってくれないどころか、聞こうともしてもらえない」という状況は、本当に悲しく絶望感を抱くものです。でも、この絵本のクマに「読者」という理解者がいたように、どこかにきっと、理解し共感を寄せてくれる存在があるはずです。

 

 

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『臨床心理士と可愛い絵本』いかがでしたか?

第6回目 お付き合いいただき ありがとうございます。

 

同じ絵本であっても、感じ方は多様です。

同じ人が同じ絵本を読んでも、

その時の体調や気分によって

感じ方や気になるところが変わることもあります。

 

あなたが【 ぼくはくまのままでいたかったのに 】を読んだ時

どう感じ、どんなことを考え、

どんなメッセージを受けとったか、

きかせていただけましたら嬉しく思います♪

 

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