神秘主義では、瞑想によって高次の段階の出現を促すが、それによって心のスプリッティング(分裂)を起こすことが多分にある。

インテグラル理論では、瞑想による心の抑圧と分裂に関して十分説明がされている。

 

「さまざまな理由で、こうした初期の段階で、反復された、強い精神外傷を受けたとすると、例えば生後3、4年ぐらいの前慣習的段階において、以下のようなことが起こる傾向があります。

 自己の重心が前慣習的、衝動的な段階にあったために、衝動的な自己が切り離される、あるいは分離します。この分離が非常に強い場合、自己発達は急停止します。しかしほとんどの場合、自己はそのまま、もがきながら、分離の道を進もうとします。どれほど傷ついても意識の拡大する梯子を上ろうとする、発達を続けようとします。登っていく間、そこらじゅうに血を撒き散らしますが、とにかく登り続けるのです。

 しかし衝動的な自己という側面は切り離され、分離したままになっている。この分離した側面は、登るのを止めます。成長し発達するのを止めるのです。むしろこの分離した自己は、いわば地下で店を開く。それは段階1の道徳的世界観を持っている。なぜなら、この例では、そこで分離が起こったからです。分離した自己は道徳段階1に留まり、その間、他の自己は成長を続けていくのです。そこでこの分離した自己は、完全に自己愛的、自己中心的、自己没入的で、そしてなにより衝動的です。それは世界を、その原初的、古層的な段階でのみ入手できるカテゴリーに基づいて解釈し続けるのです。

 そこで、自己の水滴の主な部分が梯子をとぼとぼ登っていくとき、分離した小さな水滴は下に留まっていて、神経症的な、あるいは時には分裂病的な症状を呈して、自己の主な部分の足を引っ張ろうとしています。主な水滴はだんだんと、より高い、より広い世界を眺めていきますが、小さな水滴のほうは相変らず自分だけの自己愛的な、古層的世界観だけで世界を見、前慣習的な衝動と欲求にはいりこんでいるのです。

 そこで今や道徳段階3か4、5にある主な滴と、道徳段階1にある小さな滴の間の内的葛藤は、破壊的なものになりうるのです。この闘争は外部との葛藤ではなくて、内乱です。その別名が病理です。 

 (中略)

 いったんこうしたアクシデントが起こると、つまりいったんどれかのレベルで「サブフェーズ奇形」が形成されてしまうと、こうした病理は後に続く発達全体に影響して歪めがちな意識障害を形成するのです。発達中の真珠にからみこまれた一粒のように、その奇形はその後の層すべてを「縮め」、傾かせ、歪めるわけです。

 いまや、自己が所有していない、または許していない、または認知していない自己の存在の側面があるわけです。それは自分自身から隠れはじめるのです。言い換えれば、自己は自分自身に嘘をつきはじめるわけです。偽りの自己システムが、実際の自己、どんな瞬間にも本当はそこにある自己の上に育ちはじめるのですが、しかしいまや拒否され、または歪められ、または抑圧されるのです。抑圧とは基本的に、実際にあなたの心(プシケ)のなかで走りまわっていることに不誠実であるということです。

 こうして個人的無意識の経歴がはじまるのです。そしてこうした無意識は、ある部分、自己の嘘の座なのです。以前言ったように、意識(アウェアネス)の諸側面が分裂するのです。いわば「小さな水滴」、小さな自己、小さな主体が地下の闇に押しこめられるわけです。こうした小さな水滴は、分裂し拒否されたときの発達のレベルに留まります。それらは成長しなくなります。抑圧したレベルと融合したままになります。地階に潜伏し、その地階へのドアは嘘によって見張られるのです。

 そのようにして、分離によって立ち入り禁止にされた潜在能力の諸側面が、エネルギーと気づきを食いつくしはじめるのです。それらは下水溝です。さらなる成長と発達を故意に妨害します。それらは役に立たない自重、成長して抜け出すべきだった過去の年齢の重みです。しかしそうではなく、嘘によって保護され、庇護されて、威嚇しようと生き続けているわけです。」

AQALより抜粋

 

 

心理療法で行われるような感情の観察や内省(低次の段階)とは逆に、瞑想ではワンネスやクンダリーニ覚醒(高次の段階)を起こすことが目標とされるため、どうしても低次を抑圧せざるをえなくなる。(欲、怒り、不安など)

そうして、たいていの神秘主義者は心を置きざりにし、影を作り出すことで歪んだ人格が形成され、乗り物(肉体と精神)をまったくダメにしてしまう。

このことに関してケン・ウィルバーは、「フロイト(心理学)とブッダ(神秘主義)を結婚させる必要があります。」といたるところで発言している。

インテグラル理論では瞑想による抑圧を防ぐため、積極的に心理療法の実践を勧めている。また、「肉体は人間が悟りに至るための大切な“乗り物”である」という視点から、筋トレや有酸素運動などの肉体のトレーニングも勧めている。

 

フロイトとブッダの両立についてhttp://nagaalert.hatenablog.com/entry/2010/01/05/103747

 

また、インテグラル理論では、単に瞑想だけに取り組むよりも、肉体、心、霊の全ての段階で鍛えた方が実践の効果があがるといわれている。これは、スピリチュアリズムの考え方とは重なる(https://ameblo.jp/nakatatsu526/entry-12445240671.html)  が、神秘主義には無い考え方だ。

僕が神秘主義よりスピリチュアリズムを高く評価しているのは、そのこともあるのだ。(神秘主義は一般人には合わないと思う)