『ありふれた教室』『関心領域』 | dramatique

『ありふれた教室』『関心領域』

 

前回のブログに『ありふれた教室』と『関心領域』をこの順番で観た直後のひと言感想を書いたら、何となく気が済んでしまって(特にまともなことを書いてもいないにひひ)、それぞれを立ててみっちり書く感じでもないので、改めて2作品について簡単に書いてみる。

まずイルカー・チャタク『ありふれた教室』から。

この、何の使い道にもなりそうにない女教師の顔アップのカードを、劇場の入口で受け取りながら入場。


仕事熱心で正義感の強い若手教師カーラは、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持ち、同僚や生徒の信頼を獲得しつつあった。そんなある日、校内で立て続けに起きる盗難事件の犯人として教え子が疑われ、校長らの強引な調査に反発を感じたカーラは、独自の犯人探しを始める。すると、カーラが職員室で仕掛けた隠し撮りの動画にある人物が記録されており…



女教師と同化させられ、非常に切迫的でストレスフルな1時間半。


「ありふれた教室」というように、程度の差こそあれ類似した状況はよく起こっているのだろう。だから昨今は教師になりたがる人が少ないと聞いても驚かない。


いきなり不毛な話になってしまうけれど、熱血教師など目指さず、そこそこ当たり障りなく泳いでいくのがベターなのだ。


表面的にはわかり難くても、お金に汚い人は至るところに潜んでいる。彼ら犯人はそれでも尊厳があり、犯人として吊し上げられたいとは微塵も思っていない。


だから、同僚の立場で犯人探しなどしても逆効果でしかないわけで、校長が「隠しカメラを設置します」と公言すれば良かったのかもしれない。


私は大学時代に、演劇研究会の部室でよく財布の中のお金が紛失する経験をした。さらには、公演当日にトウシューズを隠されたこともある。どちらも盗難だと思われるが(トゥシューズに関してはただの盗難というより個人的な悪意だと解釈している)、表沙汰にはしなかった。


それはやはり上記のような理由で、真実を解明しようとしても、ろくなことがないと思っていたからだろう。


        *


ジョナサン・グレイザー『関心領域』については、ただひと言「スタイリッシュな映画だと思った」とか「前作の『アンダー・ザ・スキン』の方が刺さった」とか書いたけれど、それでは不十分なので補足が必要だ。


それに、今となっては『アンダー・ザ・スキン』の内容を例によってほとんど忘れてしまっているので、見直さなければいけないのだったにひひ



空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から黒い煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた…



映像的にはスタイリッシュに淡々と進んでいくのだが、ところどころで故意な音響効果やナイトスコープ、現在のドキュメンタリー的映像を導入することで、観客の意識に揺さぶりがかけられる。


アウシュビッツが題材になっているからといって、ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」よりも、私は『オッペンハイマー』のような、エリートがより高みを目指す感覚の方が近い印象を受けた。


誰しも、置かれた立場でより良く生きるしかないのだ。捕虜になってしまったら、その捕虜の立場での最良を目指し、アウシュビッツの管理者に配属されたら、その役職において出来る限りの最良に努めるしかない。


生きとし生けるものはすべて、流れ流され、儚い存在なのである。


        *


作品情報が気になったら、貼り付けてある公式サイトでご確認いただけますと幸いです。



Bon Voyage★