本来なら行っていたであろう展示 | dramatique

本来なら行っていたであろう展示

 

このところ前向きに神戸生活を満喫しようと努めていたのだが、ふと、ある美術展示(@東京)について知人たちが盛り上がっているのをSNSで見かけた瞬間に、「わ、今すぐ観に行きたい!」と思って、気軽にそうできないことに気づいて愕然としてしまった(何を今さらにひひ)。

今となっては、自分にとって何十年も暮らした東京が故郷のようで、それは特に美術館や映画館に関して痛感している。徒歩圏内が美術館だらけで(森美術館、国立新美術館、庭園美術館etc…)、恵まれ過ぎて気がつかなくなっていた。

そして、通常ならとっくに行っていたであろう展示「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」が、上野の国立西洋美術館で開催されていて、5/12(日)には終わってしまう。

これまで20世紀前半までの西洋美術だけを所蔵/保存/展示してきた国立西洋美術館が、65年目の節目にして初めて「現代美術」を展示し、「未来の芸術」を産み育てる土壌となりえてきたのかどうか? を問いかける試み。




キュレーターの新藤淳さんによる解説が、5/11(土)の17時からzoomで開催される。国立西洋美術館のHPから申し込めるので(まだ残席があれば)、気になる方はぜひ。一応、私は申し込んでみた。


この新藤さんもそうだけれど、梅津庸一、田中功起、弓指寛治ら参加作家は、ゲンロン新芸術校でのキュレーションでお世話になった方々で、不思議な感覚が蘇る。


考えてみたら新幹線で3時間もかからないのだから、もし普通に計画していたら、たぶん行けたと思う。


家の防犯設備を整え、新しいキャットシッターさんを探し、チケットと滞在場所を手配する。
これまで神戸の物件探しのために移動していた経路の逆をやればいいだけなのだ。

これからはボチボチ身軽にそういうことをやってみてもいいのだろう。

映画の観方があるように、現代美術について語るには、現代美術的な思考や用語が必要になってくる。そういう意味で、この展覧会は、人を選ぶ展覧会でもある。


一見、繊細に見える新藤さんだけれど、勇気があるのだと思う。ゲンロンで梅津さんたちに関わる中で、生まれた思いもあるのかもしれない。



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真っ黒けの黒猫コクトー。



コクトー「毎日お腹が空いてたまらなくなるんだ黒猫




ルナ氏「だからデカいんだなネコ



Bon Voyage★