『フェイブルマンズ』映画を撮るがゆえに見えてしまうもの、得られるもの、失ってしまうもの | dramatique

『フェイブルマンズ』映画を撮るがゆえに見えてしまうもの、得られるもの、失ってしまうもの

 
周囲の評判の差が大きいのが微妙に気になって、自分の目で確かめるためにスティーヴン・スピルバーグの最新作『フェイブルマンズ』を鑑賞することに@TOHOシネマズ六本木ヒルズScreen3。

 

 

①フェイブルマン家の地味な話であり、スピルバーグの自伝だと期待して観に行くと面白くないという人と、②かなりの感銘を受け、奥深い感慨に浸っている人に分かれていて、何だか気になってしまったのだ。

 

で、私はどうだったかというと、大変面白かった!のである。


父親役のポール・ダノについて、観る前は「え、父親なの?」と思ってたけど、演技の振り幅が万能で恐るべし。ミシェル・ウィリアムズは、家庭のためにコンサートピアニストを諦めた母親をスリリングに演じている。


そして、サミー少年を演じたガブリエル・ラベルのことを、何となくスピルバーグに似た雰囲気があるし、この役に合ってるなあと思いながら私は観ていた。

 

 

1952年、サミー・フェイブルマン少年(ガブリエル・ラベル)は、科学者の父親バート(ポール・ダノ)と音楽家でピアニストの母親ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)に連れられ、初めての映画館で『地上最大のショウ』を観て以来、映画…それも「衝突」に魅せられ、8ミリカメラで次々と作品を撮るようになる。やがて、父親の仕事の関係でニュージャージーからアリゾナ、そしてカリフォルニアへと引っ越す過程で、家族間や学校などで様々な体験をするのだが、映画を撮っていることによって、より引き裂かれるような思いを知ることになるのだった…

たぶん、私自身が個人作家として映画を撮っていたからかもしれないけれど、サミー少年が必死にカメラを回し、フィルムをつなぐ姿を見ていると、「おお、頑張っている!」と胸熱になってしまう。初めてカットを繋いだ時の喜びが込み上げてくる。

心ない言葉を投げかけられる気持ちもよくわかる。「映画なんか」みたいな。そのくせ記録係が必要な時は駆り出される。

彼の両親は科学者と芸術家で、一見、両極端なカップルに見られるだろうけど(結局離れ離れになってしまうのだが)、映画製作って、テクニカルな面と芸術的な面が融合した表現なのだよね。だからスピルバーグが映画監督の才能を有していたのは理にかなっていると思う。

冷静で現実的な父親(実はこういう人のロマンティックな面も覗いてみると面白いのだ)と、危ういくらい天然な母親、おおらかで明るい居候のベニーおじさん、独特の存在感を放つボリスおじさん、利発な妹たち…と、取り巻く人間関係もユニークだ。

だが、映画は意図せず真実を映し出すこともあれば、嘘を描くこともできる。そういった体験を身をもって積んでいく。

カリフォルニアに移った時、「まるで巨人の国にパラシュートで降りたみたい」という表現がピッタリ来るくらい、長身でスラッと美しいスポーツ万能の同級生にいじめられるようになるが(ユダヤ系であることなど)、それでも彼をカッコよく撮ってしまう。その時点で、すでにサミーは映画監督の目線で世界を見ている。

プロムの場で上映された作品を観て、いじめっ子は「あれではまるで美神じゃないか」とサミーに詰め寄るのだが、美しく映るけど最低の男である彼は、そんなに馬鹿じゃなかったというか、映画が監督のものであることをわかる程度には知性があったのだ…というのも面白かった。

ラストの緊張感も素晴らしい。

この後、実際のスピルバーグ自身は、スタジオに出入りするようになり、空き部屋を勝手に仕事部屋として使い始めるという大胆不敵な手段に出る…らしい。そんな続編も作ってくれたら楽しみだ。

観たばかりのホヤホヤで、ちょっとまだこなれていないので、ちょこちょこ修正しに戻って来るかも…です。

 

 

The Fabelmans


監督:スティーヴン・スピルバーグ

脚本:スティーヴン・スピルバーグ&トニー・クシュナー

撮影監督:ヤヌス・カミンスキー

音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:ミシェル・ウィリアムズ、ポール・ダノ、セス・ローゲン、ガブリエル・ラベル、ジャド・ハーシュ、デイヴィッド・リンチ(!)…

2022年/アメリカ/151分


珍しく長めに書いてみた。
とりあえず…
Bon Voyage★