『ワンダ WANDA』(1970) | dramatique

『ワンダ WANDA』(1970)

今日はバーバラ・ローデン監督・脚本・主演の『ワンダ  WANDA』 @シアター・イメージフォーラムの初日に行って来ました。
 
今でこそ女性監督をよく見かけるようになったけれど、1970年に女性で成し遂げ、本作1本を残し、48歳でこの世を去ったバーバラ・ローデン。
 
巨匠エリア・カザンの妻だった彼女の独立宣言のような処女作にして遺作の本作は、当時黙殺されたまま月日が流れた。
 
どうしたってネタバレしてしまうので、これから観る予定の人は要注意。
 

 

 

 

低予算の雰囲気を残しながら修復したというテロップが最初に流れる通り、粒子の粗い16mmフィルムの質感は、そのままワンダの逃避行とその行末の困難さを物語っている。

 

ワンダの瞳の色とリンクするティファニーブルーが基調になっているのが、甘くて無知で危なっかしい(よく言えば可愛い)存在のまま世間の荒波で流されていくワンダを表しているようだ。

 

冒頭、いきなり頭にカーラーを巻きつけたまま離婚裁判に遅刻するワンダが映し出される。子供を失い、有り金もすられ、成り行きで傲慢な男との犯罪絡みの逃避行に巻き込まれていく。

 

初っ端から続く彼女のやる気のない態度に、私は少々面食らってしまった。Why?…みたいな。

 

そんなんだから、ロクでもない男についていかなければいけなくなるのだ。

 

でも、何というか、世の中の大部分の女には、こういう馬鹿なところがあるのではないだろうか?…とも思う。私自身も含めて(特にかつての)。

 

もちろん、知性に溢れた女はいるし、増え続けているとも思う。でも、自立できる力がない女は男に頼ったり、行き当たりばったりで生き延びるしかなかったりする。しかも、当時の世の中は圧倒的に男性中心で、女性は抑圧されていた時代だ。

 

後半、男の犯罪を手伝う羽目になり、懸命に行動するワンダのことを男が褒めるシーンがある。「すごい子だ!」みたいに。その時のワンダの嬉しそうな顔といったら。今まで褒められたことがなかった子供のように。

 

もしかしたら、ワンダは自分には何もできないと思い込んでいるのかもしれない。確かに、ずっと自分は無能だと思い、受け身で生きてきた人間には、自己評価の低い生き方が身についてしまう。

 

ただ、映画では、なぜワンダがそうなのかについての説明はないので、こちらで勝手に想像するしかない。

 

一方、悪事を働くしかない生き方をしてきた男は、ある種のイノセントを体現している女と行動を共にするうち、女を庇護するような(あくまで支配的にだけど)微妙な変化を示すようにもなる。だんだん男の悲しみが透けて見えてくる。

 

劇場で、知り合いにバッタリ遭遇したのだけれど、その人も「前情報なしだったから、ぶっ飛んだ〜。自立する女の話じゃなかったんだね。真逆だから巻き込まれていく…」という話になった。

 

 

…なんて、上映は始まったばかりなので、この辺にて。なるべく前情報なしで観るのがおすすめです。

 

 

 

 

 

監督・脚本:バーバラ・ローデン/撮影・編集:ニコラス・T・プロフェレス/照明・音響:ラース・ヘドマン/制作協力:エリア・カザン
出演:バーバラ・ローデン、マイケル・ヒギンズ、ドロシー・シュペネス、ピーター・シュペネス、ジェローム・ティアー
1970年/アメリカ/103分/スタンダード/配給:クレプスキュール フィルム

 

        *

 

黒猫コクトーのあくびを目撃。

 

 

コクトー「くわぁ〜っ黒猫

 

 

そして、ルナ氏のあくび。

 

 

ルナ氏「くわぁ〜っネコ

 

 

 

猫のあくびは、顔中口になって可愛いなあ。

 

 

Bon Voyage★