黒沢清『大いなる幻影』(1999)今の気分を感じる映画 | dramatique

黒沢清『大いなる幻影』(1999)今の気分を感じる映画

最近、私の周辺で密かに黒沢清『大いなる幻影』が話題になっている。

 

何とも形容し難い他者との距離感とか、空気中をふわふわ飛び交う奇妙な花粉、人々が装着しているマスク、崩壊している雰囲気の世界…等々、今の世界にどこか通じるものを感じてしまうのだ。

 

「最強のインディペンデント映画作家の養成」を目指して設立された映画美学校で、高等科の実習として製作されたという本作。ラフな脚本から現場でどれだけ映画が立ち上がってくるかを試みたらしい。

 

1999年は発足当時だろうけど、こんな取り組みがなされていたのだよね。この頃に参加したかった。

 


今のタイミングで観たいと思っても、配信サービスに乗っかっていないみたいなので、珍しくDVDをお取り寄せしてしまった。

 

…とか言って、以下から観れるみたいですビックリマーク

 

Barren Illusions

 

監督:黒沢清

出演:武田真治、唯野未歩子、安井豊、松本正道、稲見一茂、市沢真吾…

1999年/日本/95分

 

(大いにネタバレ)

1999年から見た近未来の2005年の設定。郵便局に勤めるミチ(唯野未歩子)と音楽関係の仕事をしているハル(武田真治)のカップル。ミチは日常的に国際郵便の横領をし、ハルは自分が消え去ってしまうような実存の不安を抱えていた。その世界では、不可思議な花粉が舞い、2人はそれぞれアレルギーを防ぐ新薬のモニターになる。だが、その薬には生殖機能を失わせる副作用があった。ミチは海外への逃避行を夢見、ハルはファシストな強盗団に加わるようになり…

 

 

いきなり武田真治の体が透き通って消え入りそうになるところで(何度も類したシーンが登場する)、彼の実存の危うさが伝わってくる。ただ、全体的に、あらゆる存在が希薄だったり、逆に唐突だったりして、それらの断続的な脈絡の無さと、極端なまでの台詞の少なさ、淡々とした進行によって、この異世界のリアルが感覚器官を通してこちらにも浸食していく。

 

裏SF設定として、この映画の2005年では、国境が曖昧になり、ユーラシア大陸全体がゆるやかに連合して戦争が起こっており、日本は世界から忘れられた存在になっている…らしい。

 

何となく、どこか既視感のあるディストピアな風景。

 

幽霊みたいな存在感とか異界との境界の曖昧なヤバさを描いてきた黒沢監督も、きっと、通常の商業作品と違って、やりたいようにやれたのではないだろうか。

 

今とどこか重なる気分を、独自の映画世界に浸りながら鑑賞するのも乙なもの。

 

個人的に良く知る顔ぶれが出ているのも、何とも味わい深かった。

 

 

 

 

 

本作について深く考察した記事等がたくさんあるみたいなので、私ももっと突っ込んで書いてみたいけれど、今日はこの辺で。

 

 

Bon Voyage★